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墨田区京島は、京成電鉄押上線、東武鉄道亀戸線、曳舟川通り、明治通りに囲まれた半月状の地域に付けられた名前で、一丁目から三丁目まである。かつての寺島四丁目、吾嬬町西一丁目・四丁目・五丁目にあたり、空襲で大半が焼失した墨田区(旧・本所区+向島区)にあって、奇跡的に焼け残った地区である。 *写真にポインタを置くかタップすると、同じ場所の2018年の写真が見られます。 |
橘銀座商店街(キラキラ橘商店街) |
京島三丁目の東寄りを南北に貫いているのが、「橘銀座商店街」である。現在では「キラキラ橘」という愛称で、よくテレビ番組の下町特集に登場する。 その名称は、かつて商店街の北側にあった「橘館」という映画館に由来している。そのため、年配の人は「橘館通り」とも呼んでいた。 |
買物客で賑わう夕方の橘銀座商店街。商店街のちょうど中央あたりで、右側の店では、駄菓子や雑貨が売られている。 1982/03(2018/06) |
上の写真から一歩脇道に入ったところに、見事な破風屋根をもった棟割の五軒長屋があった。一番手前の店は米屋である。 1982/03(2018/06) |
活きのよさそうな魚が並ぶ魚屋の店先。現在は果物屋になったようで、シャッターには派手な色のイラストが描かれていた。 1982/03(2018/06) |
明治通りに近い商店街の北の端。左奥に見えるスーパーのダイエーがあった場所に、かつて映画館の「橘館」があった。ダイエーのあとは、青楓チェーン(セイフー)、そしてグルメシティに代わり、2018年現在は更地になっている。 1981/08(2018/06) |
商店街の中央あたり。墨田京島郵便局あたり。 1982/03(2018/06) |
■雪の橘銀座商店街 *現在との対比はありません。 | |
1983年から1984年の冬は、昭和59年豪雪とも呼ばれるほど、全国で大雪となった。東京でも雪の日が多く、1月19日は都心で22cmの積雪を記録した。 1984/01 |
雪で休みにした店も多かったが、この魚屋は営業していた。 1984/01 |
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