page 1 2 3 |
墨田区(旧・本所区)の押上から業平橋あたりは、今や東京スカイツリーの話題でもちきりである。地元商店街では、押上と業平橋の地名をとって「おしなりくん」というゆるキャラが人気なんだとか。 *写真にポインタを置くかタップすると、同じ場所の2010年の写真が見られます。 |
押上から柳島方面に向かう都電23番。西十間橋と十間橋の間。 1972.7(2010.10) |
江東区の北端、墨田区との区境近くにかかる柳島橋を渡る都電。左奥に柳島車庫が見える。 1972.7(2010.10) |
柳島車庫を北十間川の対岸から見たところ。東京湾岸に新木場が完成するまで、墨田区や江東区では、運河に材木が浮かぶ風景をどこでも見ることができた。 1972.7(2010.10) |
東武鉄道の曳舟~業平橋の中間地点あたりにある踏切。ここには、今も電車の留置線がある。京成電鉄は、この写真の左側で地下に入り、すぐに押上駅となる。 1982.2(2010.10) |
東京スカイツリーが立っている場所には、かつてセメント工場があり、何本もの引込線が敷かれていた。原料となる石灰石は、栃木県の葛生から東武鉄道の貨物列車で運ばれてきた。 1982.2(2010.10) |
押上駅の北側、押上二丁目にある乾徳稲荷神社。周囲の家が立ち退いて、しばらくぽつんと残されていた。 1981.4(2010.10) |
page 1 2 3 | 次ページへ ▼ | |
■トップページ | 「東京 -昭和の記憶-」表紙に戻る■ |
『定点写真でめぐる東京と日本の町並み』 (青春出版社) 1,550円+税 2019年10月発売! |
ツイート |