トップページ
東京 -昭和の記憶-
page 1 2 3

 
タイトル 
平川橋から見た大横川

業平橋の南側、大横川にかかる平川橋から南側を望む。墨東地区の運河に材木が浮かぶ光景は、木場の材木商が東京湾岸の新木場に完全に移転した1980年代はじめまでつづいた。
現在、大横川はほとんどが埋め立てられて親水公園となり、昔の面影はない。

1981.3(2010.10)


同じく、平川橋から北側を望む。向こうに見える橋は、浅草通りの業平橋。さらに奥には、かすかに東武鉄道の高架線が見える。
スカイツリーは、この写真のやや右側に建っている。

1981.3(2010.10)

平川橋から見た大横川

小梅橋から東武線浅草駅方面を望む

業平橋駅(現・とうきょうスカイツリー駅)から浅草方面に向かって100mあまり。小梅橋から浅草方面を望んだところ。大横川は北十間川と合流し、この写真の奥で隅田川に合流する。
東武線の業平橋・浅草間はこの運河と並行して走っている。左側の建物は、東京都下水道局のポンプ所。

1976.8(2010.10)


業平橋駅(現・とうきょうスカイツリー駅)の北側にあるスミダ写真館は、今も健在である。住所は向島三丁目。

1983.10(2010.10)

向島3丁目スミダ写真館

■同潤会中之郷アパート

 

同潤会中之郷アパート

曳舟川通りに面した押上二丁目(旧・中之郷町)にあった同潤会住宅の中之郷アパート。
関東大震災をきっかけに建てられた同潤会住宅のなかでも、1926年に竣工した最初期の住宅だった。
曳舟川通りの北側から南側を向いて撮った写真。

1984.1(2010.10)


こちらは、曳舟川通りを南側から北側に向いて撮った写真。
中之郷アパートは、昭和の終わりとともに1989年に解体され、その跡地に区の施設などが入ったセトル中之郷が建てられた。

1984.1(2010.10)

同潤会中之郷アパート

 

▲ 前ページへ page 1 2 3 次ページへ ▼

■トップページ  | 「東京 -昭和の記憶-」表紙に戻る■

「定点写真でめぐる東京と日本の町並み」表紙 『定点写真でめぐる東京と日本の町並み』
(青春出版社)
1,550円+税
2019年10月発売!