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東京 -昭和の記憶-
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タイトル 

三丁目南側の路地と長屋
 たから通りから、その北側に広がる京島三丁目に入ると、狭い道が複雑に交差して、初めての人は道に迷うこと必定である。どこまで本当か知らないが、1960年代前半には、「世界で2番目に人口密度が高い地区」として週刊誌に紹介されたことがあるほどの住宅密集地である。

たから通りから入る路地

さきほどの「虎橋通りから続く道」よりも東側。たから通りから、京島三丁目の迷宮に入る別の道。
正面の家の壁には、専門学校、ギター教室の宣伝をはじめ、お好み焼き屋、消費者金融の看板が、所狭しと貼られている。

1984/09(2018/06)


こうした物干し台は、どこでも見ることができたが、道が舗装されていないことには、さすがに驚いた。私道だからだろう。
左右の建物とも、2018年も健在。

1989/01(2018/07)

舗装されていない路地

舗装されていない路地

上の写真の道を10メートルほど直進して振り返ったところ。2018年現在、この写真の手前側には新しい家が立て込んでいるが、この一角だけが昔の 面影を残している。

1989/01(2018/07)


こうした平屋の長屋もあちこちにあったが、現在ではかなり数が少なくなっている。手前の家はすでに更地になっていた。

1983/06(2018/06)

平屋の木造住宅が続く

三輪車の子どもが遊ぶ裏通り

京島三丁目の木造住宅取り壊し、不燃化がはじまったころ。手前にあった家々はすでに駐車場になっていた。
その前を、幼稚園児らしき子がいっしんに三輪車にこいで駆け抜けていった。

1984/04(2018/07)


いかにも京島三丁目らしい風景。40年近くたっても大きく変わらないが、道の向こうにこんな建造物が建つなんて想像もしなかった。あたりまえだけど。

1980/06(2018/06)

スカイツリーが見える裏道

赤旗の宣伝カーがゆく

木造家屋が雑然と並ぶ裏通りを、赤旗の宣伝カーが通っていった。
1960年代半ばまで、この一本先の路地を入ったところに、小さな小さなソース工場があって、近くを通るとソースの香りがぷーんと漂っていた。

1983/04(2018/06)


上の写真の右側から左側を向いて撮った写真。正面の路地は、この先で細くなって自動車は通過できない。

1983/06(2018/06)

裏通りと路地が入り組む

対面通行の裏通り

くねくねとした裏通りと路地を歩いて、いい加減方向感覚を失ったころ、ようやく視界が開けて、この先で少し広い道に出る。この写真の奥を左右に走る道が、次ページトップの写真の道である。

1988/08(2018/07)


上の写真の左側の家。ここからまた路地が伸びていた。京島三丁目は緑化率が公式にはほぼゼロに近かったが、このように植木を育てている家も多く、意外と緑を目にしたものである。

1988/12(2018/07)

植木鉢と物干しがある路地

 

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