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墨田区京島は、京成電鉄押上線、東武鉄道亀戸線、曳舟川通り、明治通りに囲まれた半月状の地域に付けられた名前で、一丁目から三丁目まである。かつての寺島四丁目、吾嬬町西一丁目・四丁目・五丁目にあたり、空襲で大半が焼失した墨田区(旧・本所区+向島区)にあって、奇跡的に焼け残った地区である。 *写真にポインタを置くかタップすると、同じ場所の2017年の写真が見られます。 |
東武亀戸線の踏切。手前側が押上三丁目。かつては、曳舟と小村井の間に、虎橋通と十間橋通という2つの駅があったそうだ。 1983/06(2017/12) |
上の写真の中央に写っている家。このあたりには、このような板壁の家やその先に見えるような木造の長屋が連続していた。 1983/06(2017/12) |
1枚目の写真の踏切を反対側から見たところ。東京大空襲で、東武亀戸線の向こう側(現・押上三丁目)はほぼ焼失したが、手前側(現・京島二丁目)は焼け残った。 1984/09(2017/12) |
上の写真の狭い道から、さらに脇に入る狭い路地。こちらのほうは、ずいぶん変化している。 1984/09(2017/12) |
京島三丁目から続く商店街の橘銀座通り(現・キラキラ橘商店街)。京島二丁目側は、かなり商店が少なくなって寂しくなってしまった。
1981/03(2017/12) |
この道を直進すると東武亀戸線の踏切となり、戦前まではそこに虎橋通駅があった。そして、この道が虎橋通り(今ではそう呼ぶ人もいない)。今では狭い裏通りだが、明治末期から大正時代にかけて、旧・吾嬬町を南北に貫くメインストリートだったのだそうだ。 1982/02(2017/12) |
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