page 1 2 |
銀座からほど近い場所にありながら、築地や湊(旧町名では、築地、明石町、新富町、入船町、湊町など)にかけての一帯は、空襲による戦災を免れたために、戦前からの味わい深い木造住宅が数多く残されていた。 *写真にポインタを置くかタップすると、同じ場所の2018年の写真が見られます。 |
銀座四丁目交差点から晴海通りを500mほど東に行った築地四丁目交差点。その角にあった「丸ワ商会」の建物は、昭和7年に建てられたとのことで、角地ならではのユニークな形をしている。店内では普段使いの陶器が数多く売られていた。 1992/12(2018/11) |
築地市場の東側の入口にあった海幸橋(かいこうばし)。下を築地川の支流が流れていた。右に見えるのは波除神社。 1992/12(2018/11) |
海幸橋の北側から築地市場を望む。左が波除神社。 1992/12(2018/11) |
築地一丁目にある「宮川食鳥鶏卵株式会社」の銅板張りの立派な3階建て。隣接する「つきじ宮川 本廛」とは親戚の関係にあるらしい。 1986/11(2018/11) |
▼築地二丁目の路地にずらりと続く味わい深い板壁の家々。 1986/11 (2018/11) |
|
▲4軒続いていた板壁の家のうち、手前から3軒目が建て直された。中央の店は鉄板焼き屋となっている。 1986/11 (2018/11) |
築地市場の北側、勝鬨橋の近くの晴海通り。中央の路地をはさんで、左が大正13年に建てられた麸屋の「角山本店」、右の木造三階建てが鳥料理の「とゝ屋」。 1992/11(2018/11) |
page 1 2 | 次ページへ ▼ | |
■トップページ | 「東京 -昭和の記憶-」表紙に戻る■ |
『定点写真でめぐる東京と日本の町並み』 (青春出版社) 1,550円+税 2019年10月発売! |
ツイート |