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東京 -昭和の記憶-

 
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 銀座といえば、今さら何の説明も必要ない日本一の、いや世界的な繁華街である。東京東部に住んでいた私の家族にとっては、浅草はいつもの繁華街、銀座は特別なときに行く繁華街という位置づけであった。
 一時は新宿や渋谷などに押され気味だったが、有楽町、日本橋、大手町などとともに都心再開発の中心となり、昔日の輝きを取り戻しているのは喜ばしい。

 今回は、有楽町から銀座、東銀座にかけての1970年代から80年代の写真が中心である。現在の住居表示では、有楽町一・二丁目、銀座二~六丁目あたりだ。隣接する地域については、「京橋~銀座一丁目」「丸の内~日本橋」をご覧いただきたい。

*写真にポインタを置くかタップすると、同じ場所の2013年の写真が見られます。


■数寄屋橋名物 赤尾敏の辻説法
数寄屋橋名物・赤尾敏の辻説法

数寄屋橋の名物だった大日本愛国党総裁・赤尾敏の辻説法。バックの建物は朝日新聞本社。その間の西銀座デパートは、外堀を埋め立てた跡に建てられた。数寄屋橋は、そこに架かる橋だった。
朝日新聞社の跡地に「有楽町マリオン」が建ったのは1984年のことである。

1982.11 (2013.3)

赤尾敏の後ろ姿 上の写真の中央部を拡大してみると、演説中の赤尾敏の後ろ姿が写っていた。赤尾敏は、1990年に91歳で亡くなった。  


日比谷シャンテができる前の有楽町界隈。帝国ホテルを背にして、有楽町方面を見たところ。左側が東京宝塚劇場、右側の映画館が有楽座(手前)と日比谷映画劇場(奥)。

1982.11 (2013.3)

東京宝塚劇場と有楽座

交詢社ビル

関東大震災後の1929年に建てられた「交詢社ビル」は、古きよき時代を偲ばせるユニークな外観だった。奥に見えるビアホール「ピルゼン」にはよく通ったものである。
2004年に取り壊され、高級ブティックやレストランが入居する「交詢ビル」に生まれ変わった。

1987.2 (2013.3)


晴海通りの銀座四丁目交差点と三原橋交差点の中間あたり。左に見える「銀座名画座」はピンク映画の上映館で、写真を拡大してみると、「レスビアンハーレム」「激情」という作品名が見える。 のちに「銀座シネパトス」となり、2013年に閉館が予定されている。

1987.11 (2013.3)

銀座・晴海通り

東銀座・三原橋交差点

晴海通りと昭和通りとが交差する三原橋交差点。地下鉄東銀座駅がある。
出光の看板のあるビル1階は、素敵なデザインのプラスチック製品を売る「プラスチックプラザ」という店になっていた。その向こうは、建て替え前の歌舞伎座。「コロムビア」の看板も懐かしい。

1990.7 (2013.3)


三原橋の交差点。中央の古めかしいビルは改造社書店。
上の写真もそうだが、当時は花の銀座にもサラ金の広告看板が目立っていた。

1990.7 (2013.3)

東銀座・三原橋交差点



▼歌舞伎座の裏道。歌舞伎座ビルかできてずいぶん雰囲気が変わった。
1986.11 (2013.3)

歌舞伎座裏
銀座二丁目の路地

▲昭和通りの東側は戦災を免れたために、古い民家がずいぶん残っていた。
1986.11 (2013.3)

■銀座の路地
銀座の路地

同じ銀座でも、昭和通りの東側は、かつては木挽町(こびきちょう)と呼ばれていた。
これは、銀座二丁目あたり。現在地でそれらしき路地は何本かあるのだが、どれがこの写真の路地なのかは確定できなかった。

*この写真には昔との対比はありません。

1986.11


昭和通りに面した銀座二丁目のビル。1軒だけ昔ながらの木造2階建ての家屋が残っていたが、これが2013年も健在。刀剣の骨董品を販売している店として営業も続けていた。

1986.11 (2013.3)

銀座二丁目・昭和通り

■発掘写真(1950年代の銀座のデパート屋上から)
父親が残したスライド箱から発掘した写真です。1956~58年ごろの撮影だと思われます。
銀座松阪屋の屋上から

銀座松坂屋の屋上から、銀座四丁目交差点方面を見たところ。交差点では、当時の車体色(緑と黄色)の都電がすれ違っている。
和光(服部時計店)は、もちろん現在と同じ姿。写真中央、壁に花が貼り付けてあるように見えるのが三越、左端のモニュメントのようなものがあるのが三愛。

同じく、銀座松坂屋の屋上から西のほうを見たところ。中央の国会議事堂以外に、目立った高い建物が見えない。
奥の左右に霞んで見えるのは、電波塔か高圧鉄塔か? 形も角度からも、東京タワーではなさそう。東京タワーの竣工は1958年。

銀座松阪屋の屋上から
銀座松阪屋の屋上から

銀座松坂屋屋上から南側を見たところ。当時は海が見えていた!
港を行き来する船影も見える。

こちらは、三越屋上での催し物の様子。「明治スイートシスターズ演奏会」とある。明治製菓が1952年に結成した女性ばかりのバンドで、舞台には左からアコーディオン、歌手、ドラムス、ギター、スチールギターの5人。なぜか、左にすべり台が置かれて、子どもたちが遊んでいる。
左端には取材陣らしき人たちがカメラを構えているのが見える。

銀座三越の屋上から

2013年3月作成
2015年3月写真追加(1950年代の銀座のデパート屋上から)
 

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