丸の内から大手町、日本橋にかけては、言わずと知れた東京いや日本の心臓部である。大企業の本社ビルや老舗の本店が建ち並ぶさまは当然知っていたが、町並みとしてはあまり関心がなかった。考えてみれば、まだまだ丸の内にはレンガづくりの三菱のビルが何棟も建っていたはずだし、大手町や日本橋にも意匠を凝らした建物があった。 *写真にポインタを置くかタップすると、同じ場所の2014年の写真が見られます。 |
ご存じ、赤煉瓦の東京駅丸の内口。空襲による破壊の応急措置として、この形になっていた。まさか、竣工時の姿に復元されるとは思っても見なかった。高度成長期には、これを取り壊してビルにしようなんていう話まであったっけ。危ういところだった。 1970.7(2014.7) |
中央は、皇居の北東、和田倉濠前に建っていた東京銀行協会ビル。老朽化したビルを建て替える際に、下層階の外装だけを残した。現在は銀行倶楽部となっている。右は東京海上ビルディング新館。 1972.8(2011.12) |
休日の永代通りは、交通量も少なく静かだった。西側から日本橋交差点方面を望む。 1972.8(2014.7) |
永代通りと中央通りが交差する日本橋交差点。バックは東急百貨店の本店。1967年に白木屋デパートから改称された。 1970.11(2014.7) |
日本橋交差点から西側(呉服橋方面)を見たところ。このあたりが、当時の都電38番日本橋終点だった。 1970.11(2014.7) |
■櫻政宗ビル | ||
酒造メーカー櫻政宗株式会社東京支店(本店は神戸市東灘区)の旧ビル。なかなか味わい深い姿だが、当時はまだまだこうしたビルはあちこちに残っていたこともあり、しっかり撮っておかなかったのが残念。
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日本橋交差点から、中央通りの南側(銀座方面)を望む。奥に見える高島屋は、今もそのままの姿で健在。 1970.11(2014.7) |
これはかなり時代が下ってから撮ったもの。江戸時代から続く紙の老舗「榛原(はいばら)」のビルである。周囲のビルが新しくなるなか、強烈な存在感があったので、完全な逆光であったが無理して撮った。 1987.11(2014.7) |
永代通りの江戸橋一丁目交差点から、日本橋交差点方面を見たところ。中央は東急百貨店本店。左端の横浜銀行は、現在も同じ場所で営業中 1972.8(2014.7) |
2014年7月作成 |
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