東京都区内での位置

◆◆ 著 書 ◆◆
定点写真でめぐる東京と日本の町並み
定点写真でめぐる
東京と日本の町並み

(青春出版社)
1,550円+税
2019年

ようこそシベリア鉄道へ'
ようこそシベリア鉄道へ
(天夢人)
2,100円+税
2022年3月発売

大塚坂下町(大塚駅前~東池袋)

 文京区の大塚三丁目(旧・大塚仲町)交差点近くから護国寺に続く坂を100mほど下ったところを起点として、春日通りの西側に並行してくねくねと東池袋まで続く道がある。それが坂下通りだ。1990年代ころまでは、戦前に建てられたとおぼしき商家が沿道に軒を連ねていた。
 その道を中心にした大塚坂下町(現・大塚五丁目と四・六丁目の一部)は、かなりの地域が空襲で焼け残ったために、今でもあちこちに狭い裏通りや路地や階段が残っていて散歩が楽しい。
 そんな大塚坂下町に加えて、北西に接する東池袋、北に位置する大塚駅前の昭和から平成の情景を紹介したい。ちなみに、山手線の大塚駅(豊島区)は、もともとの大塚の町(文京区、旧・小石川区)からかなり離れた場所に設置されたもので、かつての住所は巣鴨町であった。

 隣接する地区については、「雑司ヶ谷」をご覧ください。


*写真にポインタを置くかタップすると、同じ場所の2022年の写真が見られます。





■■大塚仲町(大塚三丁目)■■
不忍通りの通称富士見坂

不忍通りの大塚三丁目(旧・大塚仲町)と護国寺の間の坂道では、1970年代まで坂の正面に富士山が見えていたために、富士見坂とも呼ばれていた。
通学の途中でたまに見られた富士山の様子を写しておきたいと、休日に出かけてようやくシルエットを撮ることができた中学2年生の私である。都電は20系統。

1970/11(2022/11)


富士見坂から大塚三丁目交差点を見る

以下の写真は、トップの写真からおよそ四半世紀後の姿である。
これは、富士見坂から大塚三丁目交差点を眺めたところ。正面に住友銀行の建物が見える。交差点右奥にあった「カメラのキクヤ」はすでにない。

1994/05(2022/11)



富士見坂にあった「ささを薬品」

富士見坂の途中の南側にあった「ささを薬品」。この周囲には、蔵のある質屋やデカデカと「性病」の看板を掲げた医院などのユニークな建物が数多くあったが、残念ながら撮り損ねてしまった。

1994/05(2022/11)



大塚三丁目交差点の旭寿司

大塚三丁目交差点の北西側、春日通りに面したところにあった旭寿司の趣深い建物。その後、こちら側に道路の拡幅工事が行われたため、取り壊された。

1994/05(2022/11)



春日通り沿いの看板建築

上の写真の斜向かい、春日通り沿いに並んでいた看板建築の建物群。写真の右枠外にあった「日本通運健康保険組合 東京病院」は、2007年に「大坪会 小石川東京病院」に継承された。

1994/05(2022/11)



春日通り沿いの看板建築

上の写真の看板建築2棟を正面から見たところ。左右とも3軒の棟割長屋だ。
右の建物は3階建てなのが目を引く。左から「ササ○ワ理髪店」(○は看板の字が欠けている)「サニークリーニング」「今井洋服店」の3店舗。

1994/05(2022/11)

春日通り沿いの「はし善」

春日通りをさらに大塚駅方向に進んだところにあった「はし善」という箸問屋。このあたりも道路拡幅のために取り壊された。
通りの向かい側には、東邦音楽短期大学がある。この道を直進すると、地下鉄丸ノ内線新大塚駅まで約300m、山手線大塚駅までは約1kmある。

1994/05(2022/11)






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