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雑司ヶ谷は、山手線内側の北東部、池袋駅の南東に広がっている町だ。かつての雑司ヶ谷町は一丁目から七丁目まであり、現在の町名でいうと、雑司が谷(”ヶ”の表記が”が”になった)に南池袋を加えて、さらに山手線の外側の西池袋の一部にも及ぶ大きな町であった。 *写真にポインタを置くかタップすると、同じ場所の2013年の写真が見られます。 |
都電の停留所付近から雑司ヶ谷鬼子母神に至る参道は、道の両側に木が繁っているものの、ごく普通の民家や商店が並んでいて、生活道路のようでもある不思議な空間だった。 1988.8(2013.2) |
突き当たりが雑司ヶ谷鬼子母神。上の写真とは反対側の入口で、道の手前側は池袋に通じている。 1992.7(2013.2) |
雑司ヶ谷鬼子母神の境内。かつては、こんな遊具が並んでいた。ほとんど変化のないように思える境内も、20年でずいぶん変わったものだ。 1991.1(2013.2) |
右側は都電の線路。鬼子母神前電停が、かすかに見える。その後、この道路の下に地下鉄副都心線が建設され、都電の線路の両側は、広々とした道となった。 1992.7(2013.2) |
鬼子母神前電停。周辺は静かな町だったが、副都心線開通・雑司が谷駅開業によって、だいぶ雰囲気が変わってきた。 1992.7(2013.2) |
鬼子母神前電停のすぐ横。かつては、電車を降りると、うなぎややきとりの香りが、ぷーんと漂って来たものだった。 1992.7(2013.2) |
雑司ヶ谷の中央部を東西に貫くように、弦巻通りという昔ながらの商店街がある。くねくねとした道は、かつての弦巻川の上につくられたことによるらしい。 1992.7(2013.2) |
弦巻通りから北側に入ったあたり。突き当たりを左に行くと、急な坂道となって雑司が谷一丁目の台地に向かう。 1992.7(2013.2) |
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