坂下通りの西側から脇道に入ると、「豊島ヶ岡」に続く階段路地がある。2022年現在も、当時と変わらない雰囲気で残っているが、階段は補修されたようだ。
1995/05(2022/11)
上の写真の階段路地を途中まで登ったところで、さらに脇に入った路地。未舗装の道に、飛び石が設けてあった。
1995/05(2022/11)
大塚坂下町(現・大塚六丁目)に属するが、このあたりは標高がやや高い「豊島ヶ岡」の静かな住宅地。
左側の柵の向こうにあったのは、「兵庫県東京職員住宅」の集合住宅。現在は、「エルプレイス文京大塚」という高級賃貸住宅に姿を変えた。
1995/05(2022/11)
■■東池袋(日出町)■■
「豊島ヶ岡」を越えると、豊島区東池袋(旧・日出町)となる。ここは、都電の東池袋四丁目停留所。右手には大きな「吉野家」がある。
1969年までは左右の道にも都電(17系統)が走っており、バスの車庫のところには都電の小さな車庫があった。
その後の再開発によって、2020年までに大きく姿を変えた。
1995/05(2022/11)
再開発前のサンシャイン60南側。現在、道の左側には52階建ての「アウルタワー」が、右側(パン屋「一色屋」の看板が見える)には42階建ての「エアライズタワー」と15階建ての「ライズアリーナビル」が建っている。
1993/08(2022/11)
上の写真から20mほど前進。左側の2階建ての建物に入っているのが、特製もりそば(つけ麺ラーメン)で全国的に有名になった「大勝軒」の創業者山岸氏の店。店頭に置かれた洗濯機が懐かしい。再開発に伴って2007年に閉業した。
1993/08(2022/11)
■■大塚駅前■■
最後に、文京区の大塚ではなく、豊島区にある山手線大塚駅のガード下に位置する都電「大塚駅前」停留所。
当時は荒川線という名称ではなく、32系統の一部だった。背景に見える大塚駅北口の商家が、まさに昭和そのものだ。その後の区画整理で、すっかり姿を変えた。
1974/03(2022/11)
21世紀になっても、昔ながらの姿をとどめていた大塚駅南口の駅舎。かつてはトイレの臭いが改札口まで漂ってきたものだった。
駅前広場の工事の進展とともに、2013年に現在の駅ビルが竣工した。
1993/05(2022/11)
大塚駅南口の広場を通過する都電7000形。1970年代までは現在の都電の線路のあたりまで店が立て込んでおり、当時の都電の線路は、広場を斜めにショートカットするように敷かれていた。
1993/05(2022/11)
2022年11月公開