■■大塚坂下町(坂下通り)■■
前ページの最後の写真のあたりから、階段を下ると、坂下通りのT字路近くに出る。T字路の手前の車道は、くねくねと新大塚駅まで通じている。
正面には、戦前からのものと思われる味わい深い商家が建ち並んでいた。
1994/05(2022/11)
上の写真から、坂下通りを南(不忍通り)へ100mほどの地点。
画面左端の「マチダ印刷」は2022年もそのままの建物で健在。右手の「オハラ理容室」は2010年ごろに取り壊された。
1994/05(2022/11)
2枚上の写真にある坂下通りT字路の商家群。左から3軒目の看板には、
「自動車 内装 シート 製作所」とある。1軒おいて右の家には、「鈴木工業写真社」という看板が掲げられていた。
1994/05(2022/11)
上の写真の右奥(北側)に続く坂下通り沿いの商家。左端は
「丸若ベーカリー」、その右は
「荒才酒店」となる。
現在は、手前の3軒分の敷地に
「荒才酒店」が建っている。
1994/05(2022/11)
坂下通りT字路から200mほど北上すると、「大塚先儒墓所下」のT字路と信号がある。その東側に建っていた銅壁の看板建築
。右側はマンションの建築がはじまったところのようだ。
1994/05(2022/11)
上の写真の向かい側には、歩道の上に井戸のポンプが残されていた。柱を2本立てて、ぶつからないようにしているようだ。
趣深いとは思ったが、さすがに歩道をふさいで危険だとされたのか、取り除かれてしまった。
1994/05(2022/11)
「大塚先儒墓所下」のT字路から、さらに200mほど北のあたりに残っていた蔵。
このあたりは、道路の工事にともなって、消火栓、電柱、街路灯、マンホールの位置が変わったようで、新旧の写真をどこで合わせればよいか難しい。左端の家は昔のままのようだ。
1994/05(2022/11)
立体駐車場の場所には、かつて格調高い大きな木造家屋があり、そこに赤尾敏率いる大日本愛国党本部があった。このときには、本部は駐車場の奥に移転したようだ。
隣の「君の湯」は2022年も健在。
1994/05(2022/11)