津軽半島の森林鉄道 |
1977/10 |
金木(かなぎ)はどんな町かと尋ねられたら、たいていの人は太宰治の生家がある町と答えることだろう。「ああ、営林署のあるところだね」などと答える人は、林業関係者でなかったら、相当の森林鉄道病患者に違いない。 で、私はといえば、津軽鉄道の金木駅に着くと、駅の近くにあった地図でまっさきに営林署と貯木場の位置を確かめて、脇目もふらずにそこに向かって歩いて行ったのである。すると、なんとそこには……。 |
まず目に入ったのは運材用の台車であった。 津軽半島をぐるっとまわって見つからなかったものを、最後の最後で見ることができた。 |
例によって誰もいないのをいいことに、近くをうろうろしていると、人車のなれの果てらしき木造の物体が見えた。一番上の写真は、これの反対側から撮ったものである。 「日が暮れる前に急いで来てよかった」としみじみと思ったものであった。 |
これは金木の町なかで見かけた製材所。レールはあったが、台車は発見できなかった。 |
その日は小雨模様。しかも金木駅に着いたのは夕方であった。営林署の近くでは、そんな寒々しい雰囲気のなかを、家に帰る勤め人や学生が急ぎ足で歩いている。その一方で、私はといえば、わけのわからない貨車や人車のなれの果てを写しているというわけで、しだいにわびしさがこみあげてきた。 「こんな趣味をやっている私はなんなのだろうか」などと真剣に自問自答してしまったのは、太宰の"引力"かもしれない。 それにしても、文学部出身で文学青年であったはずの私が、太宰治の生家まで来てまっさきに営林署に行くというのも申し訳ない。帰りがけにちらりと「斜陽館」を見てきたが、写真を撮るにはもう暗すぎた。 |
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