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東京 -昭和の記憶-
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タイトル 
 

 文京区(旧・本郷区)の北東にある千駄木は、地元のミニコミ誌のタイトルに由来して、谷中、根津とともに「谷根千」地区の一部として知られるようになった。
  もっとも、3つの地域は微妙に性格が違っていて、静かな寺町に高級住宅街のある谷中、活気のある商業地の根津に対して、千駄木はどちらかといえば落ち着いた住宅地という印象である。ちなみに、谷中はこちら、根津はこちら

 今回紹介するのは、千駄木の北半分にあたる3~5丁目、ほぼ旧・駒込林町に相当する。この付近は、戦災で焼け残ったために、戦前を思わせる家並みがつい最近まで残されていたものだった。
 ちなみに、現在の千駄木は、駒込林町のほか、駒込動坂町、駒込坂下町、駒込千駄木町などを合わせたものである。この名前からわかるように、千駄木というのは、もともと駒込の一部だったのである。

*写真にポインタを置くかタップすると、同じ場所の2010年の写真が見られます。


動坂下交差点

千駄木の最北部にある動坂交差点。現在は千駄木と本駒込に住所が分かれているが、かつては駒込動坂町と呼ばれていた。
写真の左右に走るのが不忍通り、手前が動坂、正面の道を直進すると田端駅になる。

1987.9(2010.3)


動坂を登って駒込病院を越えたあたり、銅板張りの民家が続く見事な家並みがあった。このとき確認できたのは3軒で、少なくとも手前の2軒は棟割り長屋になっている。
2010年にも両脇の2軒が健在だった。

1991.9(2010.3)

動坂上の銅板張り家屋

動坂上の銅板張り家屋

上の写真の右端に写っている長屋。2010年にも健在で、棟割り長屋の右側は印刷所として営業中だった。

1991.9(2010.3)


では、動坂下交差点から不忍通り沿いに南下していこう。小さな商店は1棟のマンションに姿を変えた。左端に写っている創文堂書店は、岩波書店の本が多く、品揃えが通好みだった。かなり前に閉店したが、建物だけは残っている。

1987.9(2010.3)

不忍通り沿いの商店

不忍通り沿いの商店

上の写真の斜向かいあたり。看板建築の商店が並んでいた。千駄木4丁目1番あたり。

1988.8(2010.3)


不忍通り沿いの4軒長屋。千駄木3丁目42番。手前が太田写真館、2軒目が八木沢不動産。この建物の魅力は、下の写真でわかるように、中央に通路があること。通路上にサム・ミュージックという看板が見える。

*下の写真には現在との対照はありません。

1987.9(2010.3)

不忍通り沿いの長屋の商店
不忍通り沿いの長屋の商店  

不忍通りを一歩入ると、こうした舗装されていない私道らしき道もずいぶんあった。
写真奥に左右に走っているのが不忍通り。

1988.8(2010.3)

未舗装の路地

 


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