赤羽西口本通りをさらに直進。すでに再開発の準備がはじまっていたようで、左側は駐車場になっていた。
50mほど前方で弁天通りと交差した先は細い道になっていたが、1992年に赤羽台トンネルが開通して台地の向こう側と直結した。台地の上には、赤羽台団地が見える。
1989/02(2020/03)
赤羽西口本通り(現・赤羽並木通り)と弁天通りの交差点。現在は、どちらも道路が拡幅されて昔の面影はない。
手前から、雑貨屋、果物屋、洋服直し屋、鮨屋などが並ぶ。
1989/02(2020/03)
上の写真の右奥方向に弁天通りを歩き、50mほど進んで振り返ったところ。右手前から2軒目の三忠食堂だけは、建て直して今も残る。
その手前は和風スナック。通りの左側には、パチンコ屋、レコード屋、居酒屋などの看板が見える。
1989/02(2020/03)
ここからは、赤羽駅西口から旧岩槻街道を南下。駅前広場のすぐ近くまで、こんな昭和30年代のような家並みが見られたものだった。
手前から編物教室、写真屋、鮨屋の順に並ぶ。2020年現在は、写真の右側に道路が拡幅されているようで、鮨屋(玉寿司)の建物がクリーニング屋になって残っている。
1989/02(2020/03)
上の写真からさらに200mほど南下。2軒目の看板にある「染物洗張」の文字が懐かしい。手前は食料品店、奥はふとん屋、自転車屋が並ぶ。
1989/02(2020/03)
赤羽駅西口から旧岩槻街道は700mほどが狭いままだった。写真の奥が赤羽駅。斜めに分かれる道に合わせて、鋭角を描いている民家。
1989/02(2020/03)
上の写真の民家は、この写真の右側の家。左隣には、酒好きには名の通った大久保酒場という居酒屋があった。
1989/02(2020/03)