赤羽と聞くと、東側の賑やかでちょっと猥雑な様子を思い浮かべる人が多いようだが、駅の西側にはそれとは違った歴史ある史跡や台地上の趣ある町並みが見られる。
とくに、本郷追分で中山道と分かれ、駒込、王子を通り、赤羽駅の西側を東北本線・高崎線の線路と並行する旧岩槻街道(日光御成道)は、狭い道幅の両側に商店が軒を連ねて、平成のはじめまで独特の雰囲気を残していた。
また、赤羽駅の西口を出たあたりにも、昔ながらの小さな商店が並んで、まるで昭和30年代そのままのように感じられたものだった。今考えると、どちらも拡幅や再開発を控えていたために、昔のまま残されていたのだろう。
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赤羽駅西口広場を北側から見たところ。この道が旧岩槻街道にあたり、道沿いに個人商店が連なっていた。駅はこの左側にある。
1989/02(2020/03)
上の写真とは逆方向。旧岩槻街道の南側から赤羽駅西口広場を望む。手前からクリーニング店、菓子屋、たばこ屋、パン屋、レコード屋、うどん屋、貸本屋、居酒屋、染物屋、本屋などの看板が見える。
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上の写真の手前から2軒目の浦野商店は、古典的な商家造りの建物。看板に書かれているように、菓子と骨董を扱っていた不思議な店だ。
次の写真からは、右側の藤屋商店との間の赤羽西口本通りに入っていく。
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赤羽西口本通りの東端から見た風景。左端の「書画骨董美術品」の看板は浦野商店のもの。通りの左側には、東京相和銀行、石井医院などの看板が見える。右側の看板にある「白灯油」という呼び方が懐かしい。
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さらに赤羽西口本通りを直進。右側の店は、印鑑や印刷を生業とする赤羽印房。学校帰りの女子生徒が駅に向かってくる。
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上の写真の近くから赤羽駅方向を振り返ったところ。和知商店は、2つ上の写真の「白灯油」の看板を掲げている店。この正面看板には「各種燃料、製氷卸」と書かれている。熱いものと冷たいものを扱うことで、1年中仕事があるわけだ。
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