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大畑線、津軽線 (1977年10月)

大湊線 下北駅 大湊線 大湊駅


1977年の秋は、限られた資料をもとにして下北半島の森林鉄道津軽半島の森林鉄道を訪ねてみた。そのついでに撮った国鉄線の写真である。
 大湊線、大畑線は、蒸気機関車が健在のときに訪れて以来のことである。上の写真は朝の下北駅。上野から夜行急行「八甲田」に乗り、野辺地から大湊線に乗り換えてやってきた。通学の学生で賑わっている。気動車はキハユニ26 22である。



大湊線 下北駅 大畑線 川代駅


左(小画面では上)は、下北駅での20分足らずの乗り換え時間を使って恐山と線路が見える場所まで歩いて撮ったもの。線路は大畑線で、進行方向が下北駅方面だ。このあと、田名部からバスで尻屋崎に向かい、日鉄鉱山専用線を撮影し、尻屋の集落をぶらぶらした。
 右(小画面では下)は、大畑線の川代(かわだい)駅。付近の森林鉄道跡をめぐって戻ってきた。



大畑線 川代駅 大畑線 大畑駅


左は、川代駅の駅舎。付近には人家もまばらで、ぽつんと掘っ建て小屋が買っているという風情だった。そして、大畑線の終点大畑駅へ。「本州最北端の駅」というプレートが誇らしい。もっとも、国鉄バスで大間に行ったら、そちらも最北端の駅という記述があった。国鉄バスだと、「駅」という扱いだったようだ。大間駅の駅舎の写真を撮っておかなかったのが返す返すも残念である。



急行しもきた サボ 急行しもきた サボ


このときの旅で野辺地から青森まで乗った急行「しもきた」。名称は下北だが、下北半島には入らずに、東北本線の盛岡から青森駅を経由して奥羽本線の碇ヶ関まで行く気動車急行列車だった。サボに書かれているように、弘前から碇ヶ関までは普通列車になる。



津軽線 油川駅 津軽線 油川駅


下北半島から津軽半島に移動して、朝の青森発津軽線で向かったのは油川。ここで、上りの通勤列車を撮影した。油川から乗る通勤通学客も多く、青森市内に向かう通う人でかなり混み合っていた。



津軽線 油川駅 津軽線 瀬辺地駅


上り列車を見送って、下りの三厩行きに乗車。左の写真は、油川駅ホームの待合室から下り列車を撮ったもの。右の写真は、瀬辺地駅で下車してホームから列車を見送っているところである。瀬辺地駅周辺では、津軽森林鉄道の遺構を見ることができた。



津軽線 津軽浜名駅付近 津軽線 津軽浜名駅付近


この日は、蟹田、三厩で降りて、森林鉄道の跡を探ったり、町並みを撮ったりしたのち、津軽浜名駅近くにあるユースホステルに宿泊した。観光シーズンを外れた時期だったので、宿にはなかなか面白い顔ぶれが集まって、夜遅くまで語り合ったのを思い出す。
 左の写真は、津軽浜名駅のホームから撮った列車。右は、津軽浜名駅近くをオーバークロスする森林鉄道の橋である。この橋は、当時は見向きもされなかったが、2023年現在も残されていて観光資源になっているそうだ。



2023年5月公開


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