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夕張には何度か足を運んだ。北海道に行くときは、青函連絡船で函館に夕方到着すると、そこで夕食をとって夜行列車で苫小牧に向かい、夕張近辺で朝を迎えるというのがお決まりのコースであった。 はじめのころは、夕張線(現・石勝線)の蒸気機関車も元気よく走っており、北炭真谷地炭鉱の専用線や三菱大夕張鉄道も残っていた。 1976年秋の2回目の渡道では、5万分の1の地図を片手に、あちこちでトロッコや簡易軌道の線路を探すことを目標の一つとしていた。そして、この日は、午前中に北炭楓鉱のトロッコを「発見」し、午後からは夕張に向かったのである。 |
レールはまったくへろへろしてなくて立派なものだった。 |
所在地: 北海道夕張市 訪問日: 1976年10月 |
5万分の1の地図を見ると、夕張線の終点夕張駅の手前、鹿ノ谷駅付近にトロッコのレールが描かれていた。そこで、まず鹿ノ谷で下車。 夕張鉄道はすでになかったが、国鉄夕張線の石炭列車は健在であった。駅の待合室からも、そんな列車の通過が見えた。 |
駅を出ると、まだまだ炭鉱は健在とわかった。 写真の右遠方で、水色に塗られたスノーシェッドが、そのままトロッコの線路を表している。 左の建造物は何なのだろうか。木の枠組みの上にレールが見える。 |
その建造物をメインにして、左側の建物を入れて撮った写真。 夕張線は、この建物のさらに左側を通っていた。 |
道を進んでいくと、スノーシェッドからトロッコの線路が顔を出ている場所を発見。忙しく人が立ち働いているようだが、とにかくそこまで降りていくことにした。 このさらに20年前に、この場所を撮った写真が、mizuさんのブログ「機関庫裏のフォトブック」のなかの「発掘画像」のコーナーに収められています。 |
急な坂を降りてみると、なんとたくさんのトロッコが堂々と置かれていることか。 「なんだ、こんなにあるのか」と、失礼にもありがたみを感じなかったのは、トロッコなんぞを追っているマイナー志向の人間の悪いクセである。 |
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