北海道の簡易軌道 |
浜中町営軌道茶内(ちゃない)線は、根室本線の茶内駅から北に向かう簡易軌道であった。全盛期には、上風蓮(かみふうれん)、西円朱別(にしえんしゅべつ)、別寒辺牛(ぺかんぺうし)までの3つの路線が伸びていた。 廃止されたのは、簡易軌道のなかでもっとも遅い1972(昭和47)年3月。そのためもあって、晩年には鉄道雑誌にしばしば紹介されたものだった。 訪問:1976年10月 |
参考:国土地理院5万分の1地形図 「霧多布」昭和46年4月30日発行 「姉別」昭和49年2月28日発行 「茶内原野」昭和47年2月28日発行 |
根室本線を茶内駅で下車し、駅の北側にまわると……ありました。 これは、牛乳を運んでいたらしいステンレス製のタンク車。 後方には、根室本線を走るコンテナ列車が見える。 |
駅の跡らしき場所に、車両が大量に放置されていた。L型のディーゼル機関車にまじって、客車の姿も見られた。 湯口徹氏の「簡易軌道見聞録」の写真と照合すると、これは1957(昭和32)年釧路製作所製の「牽引客車」のようだ。ちなみに「牽引客車」とは、機関車に引かれて走る、純粋な意味での客車のこと。 |
「牽引客車5に対して、自分で走れるディーゼルカーやガソリンカーは簡易軌道の用語で「自走客車」と呼ばれる。 周囲には誰もいないので、例によって車庫のなかまでずかずか乗り込んで、こっそりと拝見すると……まだまだ使えそうな「自走客車」が。 |
車庫のなかには、ぎっしりと車両が詰まっていた。 それにしても、もったいない車両の数々。はたして、この後、この車両たちはどうなったことだろうか。 |
廃線跡にはすでにレールはなかったが、駅からは容易にたどることができた。しばし歩いてくと鉄橋に出た。 このあとも淡々と線路は続いていたが、私は廃線マニアではなく(ホントか?)、しかも日が傾いてきたので、適当なところで切り上げて帰ることにしたのであった。 |
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2000年公開 |
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別海村営軌道(跡)|標茶町営軌道(跡)|幌延町営軌道(跡)|歌登町営軌道(跡) |
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