東京大空襲で甚大な被害を受けた下町のなかでも、総武線より南側の江東区はほぼ壊滅状態だったこともあり、戦前の古い町並みはほとんど残っていない。そのために町歩きをはじめたのは遅くなってからのことだが、歩いてみるといろいろな発見があった。
なかでも、毛利と住吉にまたがって建てられた同潤会住宅は見事なもので、外からも内からもしみじみと眺めて写真を撮ってみた。今となっては貴重な記録ではないかと思っている。また、猿江恩賜公園の南側でたまたま見つけた都営住宅は、ネットで写真も資料も見つからない。
*写真にポインタを置くかタップすると、同じ場所の2022年の写真が見られます。
錦糸町駅の南に続く牡丹橋通りは、場外馬券売場近くにあって雑然としていた。住所は墨田区江東橋。右奥には、キャバレー「ロンドン」の看板が見える。
1986/10(2022/02)
猿江恩賜公園の南側に建ち並ぶ戸建ての都営住宅。東京ガスのグラウンドのフェンスが右端にちらりと見えている。
『戦災焼失区域表示 東京35区区分地図帖』(日地出版)によると、この一角だけが焼失を免れたように表示されているので、もしかすると戦前に建てられたものか。
1986/10(2022/02)
この後、まもなく取り壊されて猿江恩賜公園の一部になった。手前の土地はすでに更地になっており、奥の立て札には「立入禁止 東京都住宅局」と書かれている。
1986/10(2022/02)
背後に見える木々は、猿江恩賜公園のもの。現在は、この都営住宅があったところも公園の一部になっている。また、この道を直進すると、横十間川の手前で行き止まりになっている。
1986/10(2022/02)
四ツ目通りを南下。小名木川(おなきがわ)に架かる小名木川橋から東の方角を望む。小名木川は、江戸時代に徳川家康の命によって掘削された運河だ。
1986/10(2022/02)
住所でいうと毛利と住吉の間にあったのが、「同潤会 猿江裏町共同住宅」をルーツとする「住利(すみとし)共同住宅」だった。この道をはさんで大きく2つの区画に建てられており、写真の右側が江東区の毛利、左側が住吉である。
現在は、「ツインタワーすみとし」の毛利館と住吉館になっている。
1986/11(2022/02)