トップページ
東京 -昭和の記憶-
page 1 2 3

 
タイトル「旧東海道 汐入宿」
 

 小学生時代に浅草に住んでいた私にとって、「南千住汐入」という行き先表示を掲げたバスはなじみが深かった。家の近くは通らないので、乗ったことはなかったのだが、いつも満員だったということは覚えている。

  南千住の汐入地区というのは、荒川区の東部、隅田川に突き出したような格好をしている。かつては隅田川の対岸に渡る橋もなく、また西側には広大な隅田川貨物駅がデンと控えているために、ちょっとした陸の孤島のようなおもむきがあった。
 書物によると、汐入の歴史は上杉謙信の家臣たちが落ちのびて居を構えたのがはじまりという。空襲の被害もほとんどなかったために、再開発が行われるまでは、旧家の立派な住宅も目にすることができた。
  そして、何よりも素晴らしかったのが、単に下町情緒と片づけるにはもったいないような町並み。佃島や羽田で感じたような独自の文化をもった町の雰囲気であった。

 と、まあ偉そうにいっているのだが、私が写真を撮ったのは、すでに再開発がはじまった1992(平成4)年のことである。とはいえ、それからたった十数年しか経っていないにもかかわらず、もう右も左もわからないほど、汐入の風景が一変してしまったのは驚くほかない。

*写真にポインタを置くかタップすると、同じ場所の2009年の写真が見られます。


バス通りの商店街

バス通り沿いに並ぶ商店街。吉田私塾、栄寿司、サンエス電気といった看板がみえる。
住所は、右側が南千住八丁目28番、左側が52番である。左側にちらりと見える建物は汐入郵便局。

1992.1(2009.7)


上の写真を50メートルほど進み、振り返ったところ。西側から東側を見ていることになる。
奥には、改装中の区立第五瑞光小学校がちらりと見える。

1992.1(2009.7)

バス通りの商店街

夕暮の公園

すぐ上の写真の道を直進し、突き当たりの左側にあった公園。正月の夕方、大人も子どもも、のんびりと夕日を浴びていた。

1992.1(2009.7)


上野からやってきたバス。バスの右手に見えるのが上の写真の公園。この写真の背中側には、移転前の都立航空高専(航空工業高等専門学校)があった。バスの汐入終点は、さらにこの道を手前側に300メートルほど進んだところにあった。

1992.1(2009.7)

都立高専前

汐入の路地

汐入の路地に入っていく。右側には「(株)ウエスト」という看板。住所は南千住八丁目15番(右)と14番(左)あたりと思われる。正面に見えるのは、隅田川の対岸に建つシテヌーブ北千住。

1992.1(2009.7)



さらに直進する。左側に床屋、右側に豆腐屋という生活感あふれる雰囲気となってくる。正面のシテヌーブは、今回場所を特定する際に、ずいぶん役に立った。

1992.1(2009.7)

汐入の路地

 


page 1 2 3 次ページへ ▼

■トップページ | 「東京 -昭和の記憶-」表紙に戻る■

「定点写真でめぐる東京と日本の町並み」表紙 『定点写真でめぐる東京と日本の町並み』
(青春出版社)
1,550円+税
2019年10月発売!