日暮里の町は、線路によって分断されており、東西でその様子は大きく違っている。西側は谷中に接した昔の山の手の静かな家並みが続くが、東側は下町の雑然とした町並みが続いている。今回は、そんな東側の町の様子を、線路づたいに西日暮里駅から日暮里駅までたどってみよう。 *写真にポインタを置くかタップすると、同じ場所の2011年の写真が見られます。 |
JR西日暮里駅を降りて東側に向かって100mほど。尾久橋通りとの交差点がある。現在は、この上に新交通システム日暮里舎人ライナーの駅があるために、ずいぶん道が狭くなった感じ。 1991.11 (2011.10) |
建物自体は変わらないが、大衆酒蔵はちょっとぴりおしゃれな焼鳥屋になり池袋信用金庫は早稲田アカデミーに変わった。 1991.11 (2011.10) |
尾久橋通りを500mも歩くと、もう日暮里駅だ。ここは、日暮里駅東側にある西日暮里二丁目交差点。 1991.11 (2011.10) |
日暮里駅東口駅前広場から、ほんの30mほど入った路地。正面の商家には、「小林洋服店」と記されている。現在もこの建物は健在だが、営業はしていないようだ。住所は荒川区西日暮里2-18になる。 1991.11 (2011.10) |
上の写真を小林洋服店で突き当たり、右側を見たところ。角に、板壁のこぢんまりとした家があった。 1991.11 (2011.10) |
現在は駐車場になってしまったお宅。庭のシュロの木が、屋根と同じ高さに成長している。 1991.11 (2011.10) |
日暮里駅の北東側にあった、通称「駄菓子屋横丁」。正式名称は「食品玩具問屋」。ここには、町の駄菓子屋で売るための品々が並んでいた。 1991.11 (2011.10) |
2004年、東口広場の改装直前の様子。とくに、広場の北東側には小さな飲食店が建ち並んでいて、日暮里らしい雰囲気を残していたものだった。 2004.9 (2011.10) |
2011年10月作成 |
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