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東京 -昭和の記憶-

 
タイトル
 

 日暮里の町は、線路によって分断されており、東西でその様子は大きく違っている。西側は谷中に接した昔の山の手の静かな家並みが続くが、東側は下町の雑然とした町並みが続いている。今回は、そんな東側の町の様子を、線路づたいに西日暮里駅から日暮里駅までたどってみよう。
 すでに、元号が平成となった1991年の撮影だが、その後の20年の間にも、日暮里・舎人ライナーの開通、日暮里駅東口の再開発によって、大きく町の様子は変わった。あの泥臭い日暮里駅東口駅前には、大きなマンションや商業ビル、ホテルが建ち並んでいる。有名な駄菓子屋横丁は、日暮里駅東口の再開発によって、2004年に姿を消してしまった。

 今から思えば、繊維街や日暮里駅前広場をもっと撮っておけばよかったのだが、それも例によって後の祭りである。

*写真にポインタを置くかタップすると、同じ場所の2011年の写真が見られます。


西日暮里五丁目交差点

JR西日暮里駅を降りて東側に向かって100mほど。尾久橋通りとの交差点がある。現在は、この上に新交通システム日暮里舎人ライナーの駅があるために、ずいぶん道が狭くなった感じ。

1991.11 (2011.10)


建物自体は変わらないが、大衆酒蔵はちょっとぴりおしゃれな焼鳥屋になり池袋信用金庫は早稲田アカデミーに変わった。

1991.11 (2011.10)

西日暮里五丁目交差点

西日暮里二丁目交差点

尾久橋通りを500mも歩くと、もう日暮里駅だ。ここは、日暮里駅東側にある西日暮里二丁目交差点。
20年の間にびっしりとマンションやビルが建ち並んだ。かろうじて、角の木造商家「上村酒店」がヤマザキショップとして営業を続けている。

1991.11 (2011.10)


日暮里駅東口駅前広場から、ほんの30mほど入った路地。正面の商家には、「小林洋服店」と記されている。現在もこの建物は健在だが、営業はしていないようだ。住所は荒川区西日暮里2-18になる。

1991.11 (2011.10)

日暮里駅東口近く

日暮里駅東口近く

上の写真を小林洋服店で突き当たり、右側を見たところ。角に、板壁のこぢんまりとした家があった。
現在の写真で左に見える高架橋は、日暮里舎人ライナー。その向こう側に、高層マンションが建っている。

1991.11 (2011.10)


現在は駐車場になってしまったお宅。庭のシュロの木が、屋根と同じ高さに成長している。

1991.11 (2011.10)

日暮里駅東口近く

日暮里駄菓子問屋

日暮里駅の北東側にあった、通称「駄菓子屋横丁」。正式名称は「食品玩具問屋」。ここには、町の駄菓子屋で売るための品々が並んでいた。
東口広場の整備のために2004年に姿を消したが、 一部の店舗は、新しく建設された「ステーションガーデンタワー」内で営業している。

1991.11 (2011.10)


2004年、東口広場の改装直前の様子。とくに、広場の北東側には小さな飲食店が建ち並んでいて、日暮里らしい雰囲気を残していたものだった。
写真右下に、「食品玩具問屋入口」という看板が見える。

2004.9 (2011.10)

日暮里駄菓子問屋入口あたり
2011年10月作成
 

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