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さらに銀座方面に南下。京橋三丁目9番にあったのが、はきものの鹿島屋。周囲がビルになったなかで、最後まで土地買収に抵抗していた。 1986.11(2006.12) |
首都高のガードをくぐると住所は銀座となる。銀座一丁目の北側は、天下の銀座からは想像できない庶民的な町並みが広がっていたものだった。 1986.11(2006.12) |
上の写真の左側(昭和通り側)、新京橋交差点そばにあったビル。中央の看板には「日本ライト」、手前の壁には「プレミヤ映画株式会社」と書かれている。 1986.11(2006.12) |
銀座一丁目にあった第一ストアービル。ギザギザの壁が異彩を放っていた。 1986.11(2006.12) |
かつて、三十三間堀の東側は木挽町という町名であった。その木挽町一丁目(現・銀座一丁目)にあった、広大な敷地の高級料亭「万安楼(まんやすろう)」。高い塀の向こう側の世界は、当時の私にとって知る由もなかった。 1986.11(2006.12) |
2006年12月作成 |
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