職安通りに近い側には、飲み屋が並んでいた。「よろいや」の向こうには、左に入る横丁の「彦左小路」があり、手前には簡易宿泊所「おとめ荘」が今でも路地奥に残っている。
1988/10(2020/09)
▲「彦左小路」北側の路地。左側には「沖縄料理 玉那覇」「龍」「なめこ」、右側には「和風スナック 美穂」「小料理 浜」「小料理 さくら」の看板が見える。1988/03(2020/09)
▲「彦左小路」南側の路地。左側には「やきとり おでん はしご」「くみ(?)」、右側には「しっぷ(?)」「立花」の看板が見える。戦後の闇市を思わせる雰囲気の一角だった。 1988/03(2020/09)
「彦左小路」から新大久保駅の方向を見る。ちょうど、西武新宿線の下り電車2000系が通過中。鉄道の敷地との境界には木の杭(枕木?)が使われていた。
1988/10(2020/09)
線路沿いの通り(現・補助72号線)が職安通りに突き当たる。当時は、職安通りに中央分離帯があったが、補助72号線の拡幅・両側通行化によって、信号機付きの交差点になった。
1993/04(2020/09)
■平成まで残った「彦左小路」1993/07
上の写真から5年後の「彦左小路」とその周辺。その後、少しずつ退去と取り壊しが進み、2003年にはすべての店舗が取り壊されたそうだ。
2020年9月公開