百人町という町名は、新宿区のサイトによれば、江戸幕府が警護のために鉄砲隊百人組をこの地に住まわせていたことに由来するという。町域の大半は新大久保駅の西に広がるが、一丁目と二丁目の一部が東側にあり、以前から雑然とした雰囲気に包まれていた。
戦前は文化人の住む静かな住宅街だったそうだったが、戦後は一転して日雇い労働者や朝鮮半島の戦役から逃れてきた朝鮮・韓国人が多く住むようになり、コリアンタウンのルーツになった。かつては新大久保駅を降りると、駅の北東にあるロッテの工場からチューインガムの香りが匂ってきたものだった。今ではネパール人、ベトナム人などが増え、日本一の多国籍の町となり、いろいろと問題を抱えてはいるが、新宿区では多文化共生のモデルケースにしようと試みている。
山手線・西武新宿線の線路際には、電車からも興味深い建物が軒を連ねているのが見え、新宿に用事があるときには、わざわざ新大久保で降りて1駅歩いたこともしばしばあった。
彦左小路をはじめ、戦後の面影を残す建物の数々も補助72号線の整備によって姿を消し、やけに明るく消毒されたような町並みに変わってしまった。
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■「豊多屋足袋店」
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