山野線、妻線、宮之城線 (1977年3月)
蒸気機関車が廃止となってからは、もっぱらローカル線の乗り歩きをしていた。このときの南九州の旅で乗った3つの路線は、国鉄の民営化によって廃止となってしまった。
まずは、鹿児島本線の水俣と肥薩線の栗野を結んでいた山野線。久木野と薩摩布計の間にループ線があったのだが、車内からは全貌を見ることはできなかった。薩摩布計で下車して近くにあったはずの鉱山軌道を探索したのだが、すでに廃鉱となって鉱口を見ることができただけであった。薩摩布計では、次の列車が来るまでの2時間ほどをぼんやりと過ごすのだった。この2枚はホームと駅舎である。
薩摩布計駅はすでに無人駅になっていた。左(小画面では上)は乗り場側から見た様子。画面左側には、ループ線の最寄り駅であることが示されている。「大川ループ線、直径320m、高低差30m、延長1000m、薩摩布計駅 海抜461m」と記されている。
右(小画面では下)は、待合室に貼ってあった紙。「旅する人の 心をさそう ふるさとの駅」と書かれている。
次は、宮崎県の延岡から妻を経由して杉安まで走っていた妻線。木材輸送で賑わっていた路線だ。写真は終点の杉安駅。がらとした構内のところどころに木材が積み上げられていた。うっかり杉安駅の駅舎を撮り損ねたのは残念である。
そして、鹿児島本線の川内駅と山野線の薩摩大口駅を結んでいた宮之城線の宮之城駅。山野駅からの車窓のほとんどは、まるで森林鉄道かというような森また森だった。キハ20系を連ねた列車は、山の中腹をあえぐように昇り降りしていたように記憶している。
そんな印象だったから、宮之城というと山奥の小さな町という先入観があったのだが、今でも鹿児島市内から直通のバスが何本も発着している。
この2枚も宮之城駅構内である。まだまだ貨物輸送が盛んだったことがうかがえる。
左の写真は、宮之城線の楠本駅での交換風景。夕日が真正面からあたってしまい、画質はひどいが雰囲気を味わっていただければ幸いである。
右は鹿児島駅。中心駅である西鹿児島(現・鹿児島中央)駅にくらべると、どこかのんびりした雰囲気だった。
2023年5月公開
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