水戸線、真岡線 (1976年4月)
春になって大学に入学すると、鉄道研究会というものに入ることにした。とはいえ、研究らしきものをした記憶はなく、もっぱら部室に出入りして麻雀をしたりソフトボールに興じていたことが思い出である。
それでも、新入生が入ると歓迎小旅行が催され、このときは関東鉄道筑波線(のちの筑波鉄道→廃止)に全線乗車というものだった。行きは土浦集合、帰りは岩瀬解散だったような覚えがある。そのあと私は一人で真岡線までぶらぶら。上の写真は、水戸線への乗り換え時間を利用して撮った写真である。左(小画面では上)は、EF80が牽引する客車列車が、まさに岩瀬駅に到着するところ。右(小画面では下)は、岩瀬駅に残っていた貨物側線である。貨物輸送が廃止になると、この場所は駐輪場になった。
水戸線を下館で乗り換えて国鉄真岡線で真岡へ。のちの真岡鉄道である。左の写真は真岡駅構内の跨線橋から見た機関区の様子。当時は、非電化区間のどこへ行っても見ることのできたキハ20系である。標準色と朱色一色の首都圏色が並んでいる。
右は、下館に戻る真岡線の車内から見た様子である。
2022年6月公開
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