七尾線 (1974年2月)
年が明けて1974年、高校3年生を目前にした2月の試験休みは、受験勉強の準備もまったく行わず、いつもの友人たちと北陸に出かけることにした。最大の目的地は七尾線のC56のはずなのだが、それよりも雪の北陸に出かけること自体が楽しみだった。
輪島の朝市を見ようということで、上野を夕方に出て長岡まで上越線の普通列車を使い、長岡22時21分発の急行きたぐにに乗り換えて金沢2時30分着。七尾線の一番列車はなんと3時49分発だった。
途中の羽咋での上り列車との交換風景が上の2枚。対向列車を待つ間に明るくなってきて、霧の中から列車が現れたのは幻想的な風景だった。
そして、輪島には7時16分着。朝市に足を運んだのはいいのだが、もとより何を買うあてもなくただ見るつもりだった私たちは、売り手のおばちゃんパワーに圧倒されて早々に引き上げてしまった。輪島駅に戻って見るとC56の124号機が貨物列車の牽引を前に準備をしているところだった。
このとき、モノクロフィルムを詰めて行ったのは、父から借りた二眼レフのリコーフレックス。物珍しくて使ったのだが、さすがにすぐには使いこなせず、バランスの悪い写真になってしまった。
上りの貨物列車を撮ったのは、能登三井駅に近いトンネルの出口。ここで、モノクロとカラーの2台で撮影した。二兎を追うものは一兎をも得ずということわざどおり、中途半端な写真が2枚できてしまった。
この124号機はシールドビームなのが残念だが、赤地のナンバープレートがちょっとおしゃれである。
結局、この日に見たC56はこの124号機のみであった。その後は、穴水で能登線に乗り換えて宇出津にあったユースホステルに向かった。能登線も蛸島までの全線を乗りたかったのだが、宇出津までしか乗らないうちにその後廃止になってしまった。
翌日は、せっかく能登半島まで来たのだからと、宇出津から輪島まで走っている国鉄の定期観光バスに乗ってみることにした。北陸周遊券に加えた能登のフリーバスを使えば、このバスに乗ることができるのだ。
途中、観光スポットで時間をとってガイドさんが案内してくれる。千枚田と旧家の上時国家を訪れたことは覚えている。高校生にはちっともおもしろくないルートだったが、今から思えば、貴重な体験であった。
それにしても、宇出津を9時30分に出て(始発は穴水)、輪島に16時40分着という、今では考えられない悠々とした旅である。輪島に着いたときはもう真っ暗。上の写真は、途中の七尾駅で撮ったものだと記憶している。
上の2枚はおまけ。左は12系客車が使われていた急行きたぐである。金沢で撮影したもので、時計が真夜中の2時37分を指している。ホームにはタッレートが走っている。
右は、富山駅で見た485系の特急雷鳥。先頭車は、貫通扉が付いているクハ481の200番台である、たぶん。
そして、おまけのおまけ、左は定期観光バスで訪れた能登の千枚田である。その後ずいぶん有名になって、今では大勢の観光客が訪れているらしい。
富山では、1日だけ友人たちと別れて富山市内線を撮ったのちに神岡鉱山に向かった。その晩にまた友人たちと待ち合わせ、東京に帰るついでに上松に寄り道をして木曽森林鉄道をちらりと見てきたのであった。右は、そのときに中央本線上松駅で見た381系特急しなの。
2019年11月公開
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