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蔵出し鉄道写真館
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五能線 (1973年1月)


五能線沢目駅付近 五能線沢目駅付近
 

初めての本格的な撮影旅行が、高校1年生の冬休みにまわった東北である。それまでは、撮影旅行といっても1泊かせいぜい夜行+1泊で、特定の路線を見るのが目的だった。
ところが、この東北旅行は、五能線、津軽鉄道、大湊線・大畑線、陸羽東線をめぐるもので、元日の夜に急行「津軽」で上野駅を出て、6日に帰ってくるという、それまでにない大がかりなものだった。
参加者は、私を含めて同級生4人である。

まず訪れたのが五能線。ここには、大正生まれの8620型蒸気機関車が元気に走っていた。


五能線深浦駅付近 五能線五所川原駅付近
 

五能線の撮影地といえば、海沿いを走る深浦や岩館あたりが知られているが、なんと前年末に蒸気機関車が高波にさらわれ、機関士がなくなるという事故が起きて、海沿いを走る区間が不通になっていた。

というわけで、列車のダイヤと地図を参考にしながら、撮ったのが沢目駅付近と五所川原駅付近である。沢目では、ちょっとしゃれて、枯れ木越しに8620の引く旅客列車を撮ってみた。
1段目の写真2枚と、2段目の左の写真である。東能代と岩館を往復する朝の通勤列車だったかと思う。帰りは逆向きで引っ張ってきていた。
2段目右の写真は、深浦の旅館の窓から撮ったもの。疲れたのと雨が降ってきたのとで、もう外に出る気もなくしていた。
宿は、飛び込みで宿泊した山本旅館。1泊2食付きで1600円と記録されている。


五能線五所川原駅付近 五能線五所川原駅付近
 

翌日は、深浦から代行バスで鯵ヶ沢へ、そこからディーゼルカーで五所川原へ向かった。午前中は津軽鉄道のストーブ列車に乗り、午後は五所川原付近で8620を撮ろうという魂胆である。

だから、これ以降は、五所川原の駅の周囲をうろうろして撮った写真ばかりである。
とはいえ、この右の写真は気に入っている。というのも、これまでは撮影名所でカッコよくよそいきの写真ばかり撮ろうとしていたのだが、五能線に来てちょっと考えが変わったのだ。
ここでは、蒸気機関車がまだまだ日常生活の一部だった。だから、日常のなかを走る風景を撮ってみようとしたわけである。
町なかの踏切を通過する汽車なんて、あまり撮った人はいないかもしれない。右側のおばさんが、不審そうに見ているのもおかしい。


五能線五所川原駅 五能線五所川原駅
 

日中は吹雪がひどかったが、それでも五所川原駅あたりに、昼の2時すぎから6時ごろまでいた。
日が沈むと、当時のネガカラーフィルムでは、まともな写真は撮れないとはわかっていたが、それでも無理やり撮ったのが、この2枚である。
まあ、そこそこ雰囲気は出ているのではないだろうか。

暗くなるまで、カメラをもってうろうろしている高校生に対して、地元の人はとても親切に接してくれた。
だが、いかんせん、言葉がよくわからない。私たちに向かって早口でなにかしゃべったかと思うと、はっはっはと笑う。私たちは「はあ」と適当なあいづちを打つしかなかった。
津軽弁おそるべしである。


五能線五所川原駅 五能線五所川原駅
 

とうとうモノクロフィルムでも手持ちで写真が撮れなくなり、左の写真はホームの地べたに置いて撮ったもの。右は、なにかに乗せて撮ったのかもしれない。
右の写真は、ホーム内の待合室から撮ったもので、雪明かりに映える蒸気機関車に加えて、待合室内のものうい雰囲気が表現できたのではないだろうかと思っている。

この日は、なぜこんなに夜まで駅にいたかといえば、青森駅で夜明かしをして翌朝に大湊線と大畑線に向かおうとしたためである。


2015年3月作成



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