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蔵出し鉄道写真館
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南武線、下河原線 (1972年9月)


尻手駅
 

高校1年生の2学期がはじまり、9月24日に撮影をしたのが南武線と下河原線(中央本線支線/東京競馬場線)である。ところが、なぜか南武線で撮ったのが尻手駅の3枚だけ。しかも、下河原線に至っては日が暮れてしまっている。
不思議だと思って、昔の手帳やネガ一覧を調べてわかった。どうやら、地学の屋外学習があって、そのついでに撮ったようだ。屋外実習は、南武線沿線に古い地層が出ている場所があって、そこまで出かけたことは記憶にある。自由な高校だったから、現地集合・現地解散。そこで、行きに尻手駅で撮影、帰りに下河原線に寄ったのだろうと納得した。

この写真は川崎行きの73系電車。都内から流れてきた車両だろう。73系はバラエティに富んでおり、これは比較的新しいグループ。正面の窓の上部が、のちの101系に似て引っ込んでいる。


尻手駅 尻手駅
 

左の写真は、尻手を発車して川崎に向かう電車。トップの写真の後ろ姿だろう。こちらの73系は正面がフラットなやや古いタイプ。戦時型の63系電車の更新タイプだろうか。

右は、尻手と浜川崎を往復する支線の電車。こちらは戦前型の17m車が使用されていた。当然のことだが、戦時型や戦後すぐの車両より、はるかに丁寧につくられていたことが乗っていてもわかった。


東京競馬場前駅付近 東京競馬場前駅
 

さて、下河原線と聞いてすぐにピンと来る人は、首都圏の古い鉄道ファンかよほどの廃線マニアだろう。下河原線とは通称であり、正式には中央本線の支線。国分寺駅と東京競馬場前とを結ぶ路線だった(ほかに貨物線もあった)。
「東京競馬場前」駅は、当時のクイズで「日本一長い駅名」として有名でもあった。競馬の開催時には中央線から直通列車が走ったときもあったそうだが、ふだんはクモハ40が1両で往復していた。

左の写真は、撮影地を探す時間の余裕もないまま、夕暮のなかをかろうじて撮影できた。多少ブレてしまっているのは、ASA100(当時はまだISOではなかった)のネオパンSSだからしかたがない。
右は、東京競馬場前駅のホーム。一応、ここだけに小さな屋根がついていたように記憶している。もちろん、日本一長い駅名票も入れてパチリ。


東京競馬場前駅 国分寺駅
 

左の写真は、東京競馬場前に到着した電車。ヘッドライトをまともに浴びているが、そこそこ写っているのは幸運であった。地元の人なのか、意外と利用客がいた。
右の写真は、国分寺駅に到着後、折り返しを待つクモハ40。20mでありながら3扉であることがよくわかる。

この撮影をしたおよそ半年後の1973年4月1日に武蔵野線(開業前は東京外環状線と呼ばれていた)の新松戸~府中本町が開通し、西国分寺~府中本町でほぼ並行して走る下河原線は廃止となったのであった。

2013年12月作成



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