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蔵出し鉄道写真館
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小海線 (1972年8月)


小淵沢の大カーブ
 

当時まだC56の走っていた小海線は、東京から比較的近く、しかも高原気分を味わえるのも楽しく、何度か出かけたものだった。
この写真は、今でも撮影名所となっている小淵沢の大カーブ。列車は「八ヶ岳51号」。新宿23時55分発の中央線夜行客車列車に併結されて、小海線内はC56の牽引となる。以前は、「八ヶ岳高原号」という名称だった。

高校に入ってから初めての夏休み、私は中学校時代の友人たちと、一つ前の新宿23時50分発の臨時夜行列車(電車)で小淵沢へ。空がようやく白んでくるころに、この大カーブにやってきてビックリ! カーブが見渡せる未舗装の細道には、カメラを持った人たちが何十人も、ぎっしりと並んでいるではないか。
それでもまだスペースがあったので、カメラを構えて撮影。C56は、急カーブ・急勾配を、文字通り歩くようなスピードでゆっくりと通過していった。
夜明け前の澄んだ高原の空気のなか、このときほどドラフトの音が「なんだ坂、こんな坂」と苦しげに聞こえたときはなかった。今でも印象に強く残っているシーンである。


甲斐小泉駅 甲斐小泉駅
 

これは、小淵沢から小海線で1つ目の駅、甲斐小泉。夏になると、高原野菜を積み込んだ臨時の貨物列車も走り、小海線は賑わっていた。
駅に到着すると、機関助士がテンダーに登っていた。積んである石炭を均等にならしているのだろうか。C56のテンダーが切欠き式になっているのは、バック運転の際に、見通しをよくするためだと聞いたが、こんなときに足場として使うのも便利なようだ。


甲斐小泉駅 甲斐小泉付近
 

左の写真は、甲斐小泉に到着した小淵沢行きのディーゼルカー4両編成。夏のシーズンになると、4両でも清里~小淵沢は超満員になったものだった。先頭はキハ16だが、2両目と4両目に急行用車両が入っており、車高がばらばらである。もっとも、気動車編成はそれがあたりまえであった。
右は、確か甲斐小泉付近で撮影したものと記憶しているが、定かではない。カーブを通過する列車を望遠で狙うという、雑誌などにありがちなアングルを試してみた。
ところで、当時は清里駅前にようやく喫茶店が1つ2つできたという時代。甲斐小泉の駅前にはほとんど店がなかった。


甲斐小泉~甲斐大泉 清里~野辺山
 

左は、甲斐小泉~甲斐大泉。駅からはだいぶ歩くが、いかにも高原列車という雰囲気の場所である。牽引機はC56 159号機。その後ろに、有蓋緩急車(車掌車)ワフと旧型客車が1両ずつ連結されている。観光用の臨時列車だったと記憶している。
右は、ご存じ清里~野辺山の大門沢橋梁。2年前にも撮影した地点である。この日はくもって八ヶ岳が見えず、うまく撮れなかったとがっかりしたのだが、こうして改めて見ると、むしろ雰囲気があっていい写真である。


信濃川上駅 信濃川上駅付近
 

さらに野辺山を越えて、左の写真は信濃川上駅を発車する144号機。このあたりになると、撮影にも飽きてきて、わざと草を手前に入れてぼかしている。
右の写真は、やはり信濃川上付近だと思う。159号機が単機でやってきた。


信濃川上駅 佐久海ノ口駅
 

左は信濃川上駅に停車中の159号機。コスモスの花を髪飾りにしたイメージ。高校生のくせに凝った構図である。信濃川上駅前には、バックに見えるように周辺から切り出された木材を集める貯木場があった。
右の写真は、信濃川上から小諸に向かって2駅目の佐久海ノ口駅。貨物ホームに積み上げてある袋は、化学肥料のようである。144号機が対向列車を待っている。


佐久海ノ口駅 佐久海ノ口駅
 

上右の写真と同じ場面を、場所を変えて撮ったものである。144号機のナンバープレートが夕日に輝いている。いま思うと、機関車よりもむしろ、無蓋貨車とその上に取り付けられた網のようなものが珍しい。ここに、キャベツなんかを山と積んだのだろう。
そして、対向列車がやってきた場面が右の写真。そちらもC56牽引の貨物列車である。懐かしいのどかな風景である。

2013年2月作成



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