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小海線 (1972年8月) |
当時まだC56の走っていた小海線は、東京から比較的近く、しかも高原気分を味わえるのも楽しく、何度か出かけたものだった。 |
これは、小淵沢から小海線で1つ目の駅、甲斐小泉。夏になると、高原野菜を積み込んだ臨時の貨物列車も走り、小海線は賑わっていた。 |
左の写真は、甲斐小泉に到着した小淵沢行きのディーゼルカー4両編成。夏のシーズンになると、4両でも清里~小淵沢は超満員になったものだった。先頭はキハ16だが、2両目と4両目に急行用車両が入っており、車高がばらばらである。もっとも、気動車編成はそれがあたりまえであった。 |
左は、甲斐小泉~甲斐大泉。駅からはだいぶ歩くが、いかにも高原列車という雰囲気の場所である。牽引機はC56 159号機。その後ろに、有蓋緩急車(車掌車)ワフと旧型客車が1両ずつ連結されている。観光用の臨時列車だったと記憶している。 |
さらに野辺山を越えて、左の写真は信濃川上駅を発車する144号機。このあたりになると、撮影にも飽きてきて、わざと草を手前に入れてぼかしている。 |
左は信濃川上駅に停車中の159号機。コスモスの花を髪飾りにしたイメージ。高校生のくせに凝った構図である。信濃川上駅前には、バックに見えるように周辺から切り出された木材を集める貯木場があった。 |
上右の写真と同じ場面を、場所を変えて撮ったものである。144号機のナンバープレートが夕日に輝いている。いま思うと、機関車よりもむしろ、無蓋貨車とその上に取り付けられた網のようなものが珍しい。ここに、キャベツなんかを山と積んだのだろう。 |
2013年2月作成 |
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