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馬橋駅の乗換口。流山行きが発車を待っている。 1978.1 |
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-- 雑木林を走っていたローカル線が通勤路線に -- 総武流山電鉄は、JR常磐線の馬橋から、みりんの産地として知られる流山に至る私鉄である。 ずいぶん大げさな社名だが、全長5.7キロというミニ路線だ。常磐線が通らなかった流山の有力者たちが、協力して流山軽便鉄道という鉄道会社を設立をしたという話である。1971年に流山電鉄から総武流山電鉄に改称、さらに2008年には流鉄という社名になった。以後、流鉄流山線と呼ばれている。途中駅は4駅。小金城趾で上り列車と下り列車が交換する。 ここを初めて訪れたのは、中学生のときであった。当時はまだ地下鉄千代田線が開通しておらず、常磐線も松戸をすぎると雑木林や畑が広がっていたものだった。 馬橋に着くと、朱色に白い帯の小さな電車が待っている。以前は、常磐線下りホームから発着していた。 当時は、駅付近を除くと人家も少なく、車窓にはのどかな風景が広がっていた。しかし、いまでは沿線に住宅が建ち並び、平日の朝夕は通勤通学客で車内はごった返している。 それでは、馬橋から流山まで、当時の雰囲気を想像しながら見ていただければ幸いである。 訪問:1969年11月~1978年1月 |
現・幸谷駅のやや南。いまでは新松戸駅前となり、ビルが建ち並んでいる場所だが、当時はこんな空き地が続いていた。 1971.7 |
旧・幸谷駅。現在の駅よりも、200メートルほど馬橋寄りにあった。掘っ建て小屋のような駅舎がぽつんとある無人駅で、乗り降りする人は、ほとんどいなかった。車両はクハ53。 1973.4 |
武蔵野線開通直後の新松戸駅前をゆくモハ1101。バックは、武蔵野線から常磐線北小金方面に向かう貨物線。ここも、いまでは様変わりしてしまい、同じ場所から電車を撮影するのは不可能だ。 1973.4 |
小金城趾駅の南側。このあたりは、小川と道のあいだにフェンスが設けられたほかは、いまでも当時の面影が残っている。 1977.2 |
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