海南(和歌山県)
紀勢本線を海南で降りたのは、野上電鉄というローカル私鉄に乗るためだった。だから、残念ながら町並みの写真は撮っていないのだが、整備前の駅前や高架化前の踏切から撮った写真は、そこそこ貴重かもしれない。野上電鉄は、1994年に廃止された。
海南駅の北側から、漆器で知られる黒江にかけては、今でも古い町並みが残っている。当時行っていれば、味わい深い写真が撮れたことだろう。
1980年1月、1993年9月撮影
Kainan City, Wakayama Prefecture
キャプションの数字は撮影地点の緯度、経度、撮影方向(真北が0°で時計回り)
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紀勢本線海南駅西口、線路に並行して南北に走る県道135号線。写真左奥の突き当たりの建物は「美かど食堂・旅館」と読める。右端の黄色い看板は「紀州食堂」、その向こうの白い看板は「不二家洋菓子 米由」とある。
2019年の写真では道路は拡幅されて店舗も入れ替わったが、信号柱に「米由ビル」という表記が見える。しかし、そのビルも2021年には取り壊されて、現在は駐車場になっているようだ。
34.154969, 135.213404
195°
1980/01(★2019/07)

地平駅だった海南駅北側の踏切から南側を眺めたところ。手前の2本の線路がJR紀勢本線。左に見える駅は野上電鉄の日方駅。何両もの車両が停泊している。
34.155701, 135.214193
135°
1993/09

海南駅の北西側に位置する野上電鉄日方駅に行くには、海南駅西口からぐるりとまわらなくてはならなかった。その不便を解消するために、日方駅を発車して20秒もしないうちに、海南駅に通じる連絡口のホームに停まった。独立した駅ではなくて、あくまでも日方駅の構内の扱いだった。
34.155679, 135.214429
180°
1993/09

日方というのは、海南駅の北東部の地名だ。日方駅から100mほど東に行った日方地区の町なかに、大神宮遺蹟の祠と看板(左)があった。中央の石碑には「井松原合戦跡」と記されている。織田信長紀州攻めの折り、信長に味方する側と雑賀孫市に与する側の合戦がこの地であり、双方合わせて200名が倒れたという。その後の区画整理によって、石塔は北北西30mほどのところに移設されている。祠の行方はわからない。どこかの神社の境内に移設されたのか。
34.155405, 135.216021
0°
1980/01
2025年5月公開
Copyright © Takashi FUTAMURA