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時刻表にない鉄道
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日の出桟橋南方 日の出桟橋の南の端。当時は、ひどく寂しい場所に感じられた。 タイトル
ようやく探し当てたこの場所は、橋もでき、車が行き交う場所となっていた。
この建物には、「東京都日の出南上屋」「日本塩回送埠頭倉庫」と書かれていた。
日の出桟橋南方

日の出桟橋北方 日の出埠頭と竹芝埠頭との間にかかる橋。現在の新浜崎橋付近。
右後方に貨車が見える。さらによく見ると……この橋は中央が開閉式になっているようである。
橋の跡形もなかった。人道橋がかけられたのはいいが、危険のため立入禁止となっていた。
後方にはレインボーブリッジやお台場の建物が見える。
日の出桟橋北方



上の写真の橋を、日ノ出桟橋側から見たところ……のようだ。現在の新浜崎橋に当たる地点。

鉄橋
鉄橋

左の写真に写っている2つのビルを頼りに探してみたところ、やっとそれらしきビルを見つけることができた。新浜崎橋(写真の手前側)は中央が高くなっているので、同じ位置から撮ることは不可能だった。
右手奥が新交通「ゆりかもめ」の竹芝駅。

 専用線廃止後の日の出桟橋や竹芝桟橋には、水上バスに乗るため何度か足を運んだことがある。だが、行くたびに様子が変わってしまい、とまどってばかり。どこでどう写真を撮ったのかさえ、ほとんど忘却のかなたになってしまったのである。そこで、2001年7月、意を決して旧跡を訪ねることにしたのであった。

 それにしても、こうして1975年と2001年の写真とくらべて見ると、実に感慨深い。1975年なんて、つい最近のことと思っていたが、もう四半世紀前なのだ。以前は、どこの港でも目にした風景だったが、いまではもう珍しいものになってしまった。そう考えると、何のあてもなく、わざわざ冬の日にカメラを持って港まで行ったかいがあるというものだ。
 ここでふと計算したみたところ、このとき私は予備校生だったのではないか……。まったく何をやっていたんだか。
 惜しむらくは、動力車(機関車)が写っていないことである。桟橋をずっと歩いていたのだが、とうとう機関車には出会わなかった。時間帯が悪かったのか、それとも当時すでに東京港の貨物輸送は斜陽化していたのだろうか。



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