都営地下鉄三田線に乗って高島平方面に向かうと、地上駅の志村三丁目を発車してしばらくしたところで、車窓の左手にこんもりとした丘のような台地が見える。それが西台だ。大昔にあった志村城の西に見えた台地だから西台と呼ばれるようになったともいわれる。
地下鉄西台駅の周辺は、1960年代の住居表示実施によって志村西台町から高島平に変更されており、現在西台を名乗っているのは主に台地の部分である。平地に集合住宅が並ぶ西台駅周辺と、古くからの坂道や神社が残り、太古の古墳が発見された丘上の西台とは対照的な雰囲気である。
*写真にポインタを置くかタップすると、同じ場所の2023年の写真が見られます。
西台中央通りから、志村第五小学校や天祖神社に向かう「とりげつ坂」への分岐点には、2015年ごろまで板壁の木造「中村用品店」が建っていた。撮影時にはすでに営業をやめていたようだ。
1993/05(2023/11)
「とりげつ坂」は、この写真の左側から手前側に向かって北上していく。突き当たりは西台3-36で、当時は果物屋があった。
1993/05(2023/11)
上の写真を左に曲がった地点から振り返ったところ。ここは変則的な四叉路になっている。突き当たりのモダンな看板建築のお宅の左側には、小さな祠(観音堂)が建っている。
1993/05(2023/11)
「とりげつ坂」をさらに北上。左奥から左手前に下っていく道がそれ。右手前の上り坂を100mほど歩くと、桜が美しい西台福寿第二公園がある。
1993/05(2023/11)
西台の台地北側の縁。北側に開けた見晴らしの斜面には、まだこのような畑が残されていた。現在は、画面左側に「都営西台二丁目アパート」が建っている。画面中央の家で、新旧の写真の位置合わせができた。
画面中央を横切るのは、首都高5号線。
1993/05(2023/11)