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東京 -昭和の記憶-
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タイトル 
 

 茗荷谷(みょうがだに)駅は、地下鉄丸ノ内線で池袋から2つ目。周辺は文教地区として知られ、数多くの学校がある。駅名は、旧町名の茗荷谷町に由来しており、かつてはこのあたりで茗荷を栽培していたという話があるが定かではない。
  実は、この駅、私が中学・高校の6年間に通学で利用した駅である。いや、最初の1年は都電で通ったので、正確にいうと5年間であるが。
 だから、とくに古い町だとか珍しい町並みだったというわけではなく、個人的な感傷が含まれるのを許していただきたい。

 ただ、私が通いはじめた1969年から、昭和の終わる1989年ころまでの30年間は、都電がなくなった以外は、それほど大きな変化はなかったように記憶している。
  劇的な変化があったのは、その後10数年の間である。いつのまにか茗荷谷駅周辺にはビルが立ち並び、おしゃれっぽい町になってしまったのは驚きである。

*写真にポインタを置くかタップすると、同じ場所の2007年の写真が見られます。

大塚一丁目(大塚窪町)交差点

大塚一丁目の交差点。正面の大きな建物は茗渓会館。筑波大学と、その前身である東京教育大学、東京文理科大学の同窓会館である。
このビルは取り壊されて、茗渓ビルと茗渓会館という2つの建物になっている。新しい写真に見えるとんがり屋根の建物は跡見学園。

1988.1(2007.7)


上の写真から直進。左右が春日通りで、右方向が大塚駅。かつては、都電の16、17番が走っていた。
この交差点を直進すると、わが母校の横を通って音羽に出る。あまり変化のなかったこの風景も、平成になったとたんに激変した。お茶の水女子大学の正門はこの右手100メートルほどにある。

1988.1(2007.7)

大塚一丁目(大塚窪町)交差点

茗渓会館入口

茗渓会館の優雅な正面入口。正面入口のすぐ左はレストランの入口。
このあたりの住所は文京区大塚だが、大塚駅は豊島区にあり、2キロ近く離れている。また、北大塚、南大塚という住所も豊島区にあるのでややこしい。

1988.1(2007.7)


これまた優雅な文京区立窪町小学校。関東大震災後に建て直されたもの。春日通りを隔てて、茗渓会館の正面に位置する。
窪町はこのあたりの旧町名。大塚窪町(のちに大塚二丁目に改称)という都電の停留場があったっけ。

1988.1(2007.7)

窪町小学校

窪町小学校前

窪町小学校は2007年(2006年度)に新校舎が完成。通りに面した部分は運動場になり、校舎はやや奥に引っ込んだ。

1988.1(2007.7)


 


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