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現在の台東区東上野というと、上野駅の浅草寄りにあって、旧町名でいうと浅草区北清島町、下谷区北稲荷町、南稲荷町、神吉町、西町、車坂町などにあたる。現在の上野七丁目にあたる下車坂町、上車坂町を含めて、上野駅以東の台東区では、鳥越、根岸、日本堤の一部とともに、戦災を免れた数少ない地域の一つである。 *写真にポインタを置くかタップすると、同じ場所の2009年の写真が見られます。 |
東上野五丁目と六丁目を隔てる清洲橋通り。写真の右方向が浅草、左方向が上野である。 1984.4(2009.11) |
上の写真の反対側を見たところ。1つ先の交差点を左右に走るのが浅草通りで、その下を日本初の地下鉄が昭和2年に開通した。交差点には稲荷町駅がある。 1984.4(2009.11) |
同潤会上野下アパートメント東棟の1階には商店が入居している。1灯式の信号が珍しい。 道を入った左手に見えるのが落語長屋。最近は、上品なつもりか噺家長屋と呼ぶのだそうだが、どうもしっくりこない。 1984.4(2009.11) |
道を入ったところから落語長屋を眺める。右側には同潤会上野下アパートメント西棟(東棟よりも大きい)が見える。 1984.4(2009.11) |
これが落語長屋! 中央に四軒長屋があって、その左右にやはり板壁の住宅が続いていた。かつては8代目林家正蔵(のちの林家彦六)と9代目桂文治が住んでいたので、その名がつけられたそうだ。 1984.4(2009.11) |
8代目正蔵は「稲荷町の師匠」と呼ばれていたが、まさにここに住んでいたのである。現在は、2軒が残っているのみだが、このうちの1軒には、今も噺家が住んでいるとのことだ。 1984.4(2009.11) |
落語長屋と向かい合って建つ同潤会上野下アパートメント(西棟)。この道の両側は、まるで時が止まったかのような空間であった。 1984.4(2009.11) |
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