東武鉄道 (1977年3月~12月)
この年のネガを振り返ると、東武線のあちこちに足を運んだようだ。まずは、佐野線の終点葛生(くずう)駅。付近はセメントの原料となる石灰岩の採掘が活発に行われていて、専用線や専用鉄道などで運搬された鉱石が、ここから東武の貨物列車で業平橋のセメント工場に運ばれていた。このときは、住友セメント唐沢鉱山専用鉄道を撮りに行ったときのもの。
これは、牛田駅で電車を待っていたときに撮ったもの。左(小画面では上)は、凸型電気機関車ED3000形が牽引する短編成の貨物列車。
右(小画面では下)は、杉戸行きの普通列車。機関区もあった杉戸駅だが、近隣に東武動物公園が開演すると、あっさりと駅名が変わってしまった。
そして、夕方のラッシュ時の浅草駅。北千住から都心への地下鉄(日比谷線、千代田線)はすでに開業していたが、まだまだ浅草駅の利用者は多く、通勤電車も今より頻繁に運転されていた。
左(小画面では上)は、浅草駅の改札外から1番線を見たところ。1番線はホームを延長して8両編成が停まれるようになった。
右(小画面では下)は、羽生駅でのED3000形機関車と秩父鉄道の出会い。
これは、野田線の野田市駅。付近にはキッコーマンの工場が建ち並んでいる。右(小画面では下)の写真は、工場の専用線。写真の左側を直進すると野田市駅になる。
野田市駅の様子。今では、アーバンパークラインなどという副称が付けられているが、当時は単線区間が多くを占めるのんびりした路線だった。
2023年5月公開
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