トップページ
蔵出し鉄道写真館
< 前  14  次 >
鶴見線 (1970年1月)


鶴見駅 鶴見線の車内
 

1970年1月4日、友人たちとともに急ぎ足で箱根登山鉄道、江ノ電、相模鉄道を見て、夕方にやってきたのが国鉄鶴見線である。
当時、こげ茶色(ブドウ色2号)の車体の旧型国電は全国各地で走っていたが、そのほとんどが20m4扉。戦前製の17m3扉車が活躍している路線は、全国でも数少なくなっていた。しかも、ここでは全車両がその17m車なのである。

鶴見駅で乗り換えると、高架になっている鶴見線ホームは薄暗かったが、そこがいかにも風格があるように感じられた。それもそのはず、戦前までは私鉄の鶴見臨港鉄道のターミナルだった駅である。そこに停まっていた扇町行きの電車は、車体の表面のリベットがなんとも格好よかった。


鶴見小野~弁天橋 鶴見小野~弁天橋
 

撮影といっても、今と違ってネットがあるわけではない。雑誌にも、蒸気機関車の撮影ガイドはあっても、電車のガイドはほとんどない。結局、行き当たりばったりで、車庫のある弁天橋駅で下車。車庫を遠巻きに写したのち、鶴見小野方面に向かって歩いて踏切で走行写真を撮った。それが、上の2枚と下左の写真である。

戦前の鉄道黄金時代に首都圏、関西圏で活躍していた車両は、戦後の資材不足の時代につくられた20m車よりも、ずっとしっかりしているように感じられた。形式は、クハ16、クモハ11が主体となっていたが、改造前の車種によって少しずつ違いがあって、それを観察するのもおもしろい。

鶴見小野~弁天橋 武蔵白石駅
 

かろうじて、なんとか見られるのは、この左の写真くらいか。2両編成の電車が、轟音をたてながらカーブを曲がっていったところである。

そして、忘れずに訪問したのが、武蔵白石~大川の通称大川支線。1kmの区間を、単行(1両)の電車が1日じゅう行ったり来たりしていたのである。
武蔵白石の大川線ホームは、鶴見線の本線とは独立して設置されていた。右の写真は、そのホームで発車を待つクモハ12(たぶん)である。

現在は、ステンレス車両の3両編成が鶴見~大川を走るようになり、武蔵白石には停まらずに手前で大川方面に分岐するようになった。
2010年現在、平日9往復、休日3往復に激減してしまったが、当時はもっとひんぱんに運転されていた。

鶴見線にはこの後も足を運んだ。そのときには、もう少しまともな写真を撮っているので、しばらくお待ちを。

2010年6月作成



< 前ページ 14 次ページ >

■トップページ | 「蔵出し鉄道写真館」表紙に戻る■