まずは、渋谷駅から出ていた東京急行電鉄玉川線、いわゆる玉電である。 二子玉川園までの路面を走っていた路面電車だ。二子玉川園から砧本村まで走る砧線もあった。専用軌道だった三軒茶屋~下高井戸は、世田谷線として現存している。 残念ながら、玉電の写真はこれ1枚である。下町育ちの子どもにとって、渋谷から西は未知の世界であった。 今から思うと、なぜ編成全体が入るように撮らなかったのか、そして走行写真を撮っておかなかったのかと、後悔ばかり先にたつが、これ1枚を撮っただけでもよしとしよう。 この場所は、JR山手線から京王井の頭線に乗り換える通路の途中にあたる。そんなところに、路面電車の終点があったなんて、若い人には想像もつかないだろう。
これは、東急池上線の五反田駅。なぜ五反田までやってきたのか、まったく記憶にないのだが、少なくとも池上線を撮るのが目的でなかったことだけは間違いない。 たまたま、五反田駅の近くを歩いているときに、頭のはるか上を走る電車を見て驚いてカメラを取り出したことは、かろうじて覚えているのだ。 それにしても、鉄橋の上までホームが伸びていたのには、ちょっとびっくりした。左の写真には、ホームに 降りた車掌さんがちらりと写っている。 このあたりは、当時まで戦争直後の面影を残していた地域だった。右の写真の「養老の瀧」の看板が興味深い。
左の写真は、上の続き。池上線の五反田駅である。 右は、東急東横線の中目黒付近。渋谷行きのステンレス車7000系がトンネルに入るところだ。ただそれだけの写真である。