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私鉄ローカル線を訪ねて
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タイトル
 上野広小路の花電車 とうとう下町の都電[23][24][28][29][38]番の最終日。友人とともにカメラを持って上野広小路に繰り出した。
装飾電車も何両か走っていた。これは上野松阪屋前にて。
 1972.11

京成の上野駅付近の歩道橋から、広小路方面を望む。
この歩道橋も、現在では撤去されている。
 1972.11
上野広小路

上野公園山下あたり 上野駅の南側にあたる上野公園山下。左側が上野の山。8000形は都電廃止を見越して耐久性を落としてつくられたので、乗り心地が悪く、車内の騒音も大きかった。
 1972.11

上野駅前の停留場。昭和通りの御徒町方面から入谷方面を望む。
高速道路建設や上野駅の改良工事にともなって、何度も路線が切り替えられた場所である。
最後のころは、高速道路の日陰になっていたのが寂しかった。
停留場(安全地帯)から直接地下鉄に入る入口があるのがわかる。
 1972.11
上野駅前

浅草雷門前 浅草雷門前。ここでは、こんなシブい風景しか撮っていないのがおかしい。仁丹塔も立っていたはずなのに……。
左側では、同業者(!?)が写真を撮っている。
 1972.11

夕方になって砂町のほうまでまわった。越中島貨物線をアンダークロスする地点。ここは、大雨が降るたびに水につかっていたところ……らしい。
 1972.11
砂町を行く



花電車
そして、装飾電車は去っていったのであった。
1972.11


 1950年代なかばに生まれた私にとって、都電は本当に身近な乗り物であった。いま思うと、あれもこれも撮っておけばよかったというシーンばかり。
 夕方のラッシュ時に、[16]番の電車が大塚駅前の手前に10両以上も並んでいた情景。そして、その隣の大塚車庫前の古めかしい建物。不忍池の脇を走る[20]番と煉瓦づくりの神明町車庫。あるいは南千住車庫のループ線などなど、言い出したらきりがない。

 1972年11月11日に、専用軌道の[27][32]番(現荒川線)を残して、都電が廃止されると知ったときは実に残念であった。都電は、実に下町にピッタリの乗り物だと思っていたからだ。都電がなくなった下町の道は、不便になっただけでなく、本当に寂しく感じられたものだった。

 ところで、下町を走る都電の方向幕によく書かれていた行き先が「須田町」。何本もの路線が行き交う町なのだから、どんな大きな繁華街なんだろうと、子ども心にあこがれていたものだった。
 ある日、意を決して、都電を終点まで降りずに須田町に行ってみたのである。そのときの驚き! 何にもなかった……。


 


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