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本社を兼ねた七戸駅の駅舎。 南部縦貫鉄道の社長は七戸町長が兼務しており、大株主や役員も沿線の町村やその長がついていたという。いわば、第三セクターの草分けのような鉄道だったのだ。 現在も、「南部縦貫株式会社」(社名から「鉄道」がとれた)の本社として使われているそうだ。 1992.1 |
■1973年正月 夕暮れの七戸 |
1月5日、野辺地16時18分発の列車に乗った。あたはもう真っ暗。 車内は、地元のおじさんおばさんで、ほぼ座席が埋まった。後年の、常に閑散としていた車内からは想像もつかない。 1973.1
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七戸駅に到着して折り返しの発車を待つ。すでに宵闇に包まれていた。 1973.1
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七戸の車庫を覗くと、筑波鉄道からやってきたキハ103(右)が置かれていた。常に予備車であり、ほとんど走行することはなかったそうだ。1980年に廃車となった。 ストロボがなかったので、こんな写真になってしまった。 左のレールバスの先頭にはしめ飾りがついている。 1973.1
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上の写真から約20年後の七戸の車庫。キハ103の代わりに、旧国鉄キハ17であるキハ104が置かれていた。 やはり、この車両もめったに営業運転をすることがなかったという。 右の機関車はD451。すでに貨物輸送もなくなり、ずっと車庫に置かれていたそうだ。 1992.1
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七戸駅で発車を待つキハ102。 1992.1
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1973年の東北旅行のついでに立ち寄ったときのこと、日も沈んで小さな灯しかない薄暗い車内に満員の客を乗せて、七戸行きのレールバスは快走していた。 ところが、駅でもないところに急停車して、運転士が車外に飛び出していくでないか。どうしたのかと思って見ると、踏切の上に落ちていた雪の固まりをスコップで崩している。そのまま進んでいたら、乗り上げて脱線していたかもしれない。いたずらか、さもなければ、トラックのような大型車に積もった雪が、踏切を渡る振動で落ちたのだろう。 車内のおばさんたちは、大声をあげて笑っている。「そんな大笑いするほど、おもしろいのかなあ」と暗がりの中であっけにとられていた学生時代の私であった。 その後も、南部縦貫鉄道には2回訪れたが、あんな満員の客を乗せた列車を見ることはなかった。 東北新幹線の七戸駅が開業するまでふんばっていれば、野辺地や下北半島とを結ぶ鉄道として一気に脚光を浴びたかもしれないが……残念である。 さて、廃止時に在籍していた3両のディーゼルカー(うちレールバス2両)は、旧七戸駅構内で動態保存されている。南部縦貫レールバス愛好会の方々が南部縦貫株式会社の協力を得て、運転会やイベントを実施しているそうだ。。 -関連サイト- ・「思い出のレールバス(南部縦貫レールバス愛好会)」 -参考図書- 『鉄道ピクトリアルNo.477 1987年3月臨時増刊号』<特集>東北地方のローカル私鉄 『鉄道ピクトリアルNo.636 1997年4月臨時増刊号』<特集>東北地方のローカル私鉄 2007年4月作成
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