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野辺地駅に到着したキハ101。 当時は荷物の扱いも多かったようだ。 1975.4 |
---- レールバスが走り続けた悲運の鉄道 ---- 青森県の南東部、旧南部藩(盛岡藩)のあった地域に、全長20.9キロのローカル私鉄があった。東北本線の野辺地(のへじ)駅と内陸の要衝である七戸(しちのへ)を結ぶ南部縦貫鉄道である。 ここの名物は2両のレールバス。1962年の開業と同時に導入された富士重工業製の車両で、バスの部品を利用して製造されたものだ。 開業当初は、下北半島に建設が予定されていた「むつ製鉄」の原料として、沿線で採取される砂鉄を輸送する手段として期待されていた。ところが、政府の方針転換で製鉄所の建設は頓挫。 さらには、1968年の十勝沖地震で大きな被害を受けるも、七戸に停車する東北新幹線の開業に望みをつないで懸命に営業を続けてきたが、ついに力つきて1995年に営業休止。その後は結局運転を再開することなく、2002年には営業廃止となってしまった。 訪問:1973年1月、1975年4月、1992年1月
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野辺地駅付近を走るキハ101。確かに、「レールバス」と呼ぶにふさわしい姿である。 1975.4
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坪川を渡るキハ102。1日5往復なので、ふだんはキハ101か102のどちらか1両が稼動。もう一方は予備車として待機していた。 1992.1
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築堤の上にある坪川駅の時刻表と運賃表。手書きのところに味がある。 1992.1
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雪の坪川駅を発車するレールバス。 このころになると、日中の列車に地元客の利用はめっきり少なくなったが、逆に、この小私鉄を目当てにやってくるファンが増えてきた。 1992.1
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盛田牧場前駅近く。終点の七戸駅まではあと少しだ。 「訪問するファンが増えた」といっても、さすがに真冬にやってくる物好きは少なかったようだ。 1992.1
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