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私鉄ローカル線
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タイトル

津久毛駅に到着する下り細倉マインパーク行き。福島交通からやってきたM18型3号車。
細倉マインパーク駅は、1990年に旧・細倉駅の200mほど奥につくられた駅である。

1993.3

南栗原機関区

南栗原駅構内 かつては観光拠点であったことを思わせる立派な栗駒駅。

1993.3


栗駒駅を発車するM18 3。正面には「はくちょう」の文字とイラストをあしらったヘッドマークがかかっている。

1993.3

南栗原駅構内

南栗原機関区 細倉マインパーク駅開業前の、旧・細倉駅(終点)。中央の電車が停まっているところがホームである。
写真の手前側に、細倉鉱山までの貨物専用線が数百メートルほど延びていた。その途中に、のちの細倉マインパーク前駅ができる。

1983.7


旧・細倉駅の駅舎。「乗って残そう栗鉄を」という横断幕が貼ってある。

1983.7

南栗原機関区

南栗原駅機関区 旧・細倉駅で発車を待つM15形電車。写真の奥が細倉鉱山。細倉マインパーク駅の開業と同時に、この細倉駅は廃止された。

1983.7


1995年、第三セクター化されて、非電化となり、名称もくりはら田園鉄道となった。車両はKD95。
細倉マインパーク前~鶯沢工業高校前にて。鶯沢工業高校前駅は、細倉~鶯沢にあった駒場駅を、第三セクター化と同時に改称したものだ。

2003.7

南栗原機関区

  この路線を訪れたのは、栗原電鉄時代に2回、くりはら田園鉄道となってから1回の計3回であった。
 ここは、はっきり言って地味な鉄道であった。平凡な車両が淡々と走っているといった具合で、鉄道ファンの人気もそれほど高くなかったようである。
 もっとも、今となってはそうした地味さが貴重であったとも言える。見渡す限りの田んぼのなかを、トコトコと電車の走っていく姿が心に残っている。

車内補充券

  1983年の最初の訪問は、東北大学に入学した友人を仙台に訪ねたついでのこと。彼は、1回大学を卒業したのちに、25歳を過ぎて東北大に入り直していた。今ではちっとも珍しくないが、当時ではそういう人間はまだまだ少なかった。このページの上から5枚目、旧・細倉駅の前に立っているのが彼である。

  ところで、今回改めて調べてみると、最初の訪問時には、鉱山がまだ操業を続けていたようである。だが、すでに貨物列車を目にすることもなく、どこか斜陽の雰囲気が漂っていた。
  それでも、それなりに乗客はいたのだが、その10年後となる2回目の訪問では、乗客も数えるほど。先は長くないなというのが正直な感想であった。

車内補充券

  なにしろ、石越という始発駅が中途半端である。当初は貨物輸送がメインだったので、問題はなかったのだろうが、旅客が利用するにはちょっとつらい。そして、改めて言うまでもなく、自動車の普及がこの鉄道の命運を決めてしまった。せめて、東北新幹線の駅が近くあればと思ったのだが、くりこま高原駅はかなり離れたところにつくられた。

 1995年に第三セクターとして再出発。架線は張ったまま送電を止め、ディーゼルカーで運行を再開したのだが、乗客は増えず、とうとう2007年4月1日に全線廃止となってしまった。新製されたディーゼルカーは、なかなか内装がよかったと記憶しているので残念であった。

2010年9月作成



 


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