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私鉄ローカル線
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タイトル

那珂湊構内。左が那珂湊機関区。右が貨物の積み下ろしホーム。駅舎と旅客ホームは、画面中央奥に見える。

1977.8

那珂湊駅構内

ケハ601

日本初のステンレスディーゼルカー、ケハ601。新潟鉄工所製。残念ながら、走っている姿は見られなかった。その後、廃車となって、車体が倉庫として使われていた。2011年現在、機関区の隅で、ギャラリーとして健在。

1977.8


北海道の留萌鉄道からやってきたキハ1001。前述のように前面中央のオヘソライトが特徴の車両。

1977.8

キハ1001

那珂湊機関区のディーゼル機関車

車庫で休む2両の機関車。左が3軸のL型機関車ケキ101、右が凸型のケキ102か。
当時はまだ貨物輸送が細々と続いていたようだ。

1977.8


正面2枚窓、湘南スタイルのケハ402。茨城交通オリジナルの車両だ。羽幌炭礦鉄道色に塗り替えられていたが、すでに使われていないようで、車体にはサビが浮いていた。

1977.8

ケハ402

ハフ46

客車ハフ46。東野鉄道キハ502が茨城交通ではケハ46と名乗り、さらにエンジンをおろして客車となった。
もとをたどれば、同じ茨城県の関東鉄道にも数多くやってきた国鉄のキハ41000形(のちのキハ04形)のうちの1両。

1977.8


キハ1001の側面。いわゆるバス窓となっているのがわかる。

1977.8

キハ1001

中根駅

中根駅の情景。左側に廃止された線路があることから、以前は、交換設備があったことがわかる。
1977.8


 東京から近いにもかかわらず、結局、茨城交通時代にここを訪れたのは、この1977年の一回限りであった。
 別の項でも書いたのだが、常磐線というのはローカル私鉄好きには、たまらないものであった。松戸で新京成電鉄、馬橋で流山電鉄、取手で常総線、佐貫で竜ヶ崎線、土浦で筑波線、石岡で鉾田線、そして勝田ではこの茨城交通湊線、さらに大甕では日立電鉄--もう、居眠りをするひまもなく、左右の車窓を気にしていなければならなかったのである。

硬券

  残念ながら、筑波線、鉾田線、日立電鉄は姿を消してしまったが、幸いなことにこの茨城交通湊線は生き長らえることができた。
 それというのも、この路線を残したいと願う沿線の人の努力の結果である。冒頭で書いたように、ひたちなか市と茨城交通が出資する第三セクターの鉄道として、2008年に「ひたちなか海浜鉄道湊線」として再出発することとなった。

車内補充券

 とはいえ、劇的に乗客が増えるわけではなく、公募によって就任した社長(富山県高岡市の第三セクターの軌道「万葉線」の再建に尽力した方)をはじめ、関係者が集客に頭を悩ましているようだ。しかも、2011年3月の大震災では大きな被害を受けて、全線開通まで4カ月を要するといった苦難を被っている。
 それでも、移管当初より、新型車両の導入、旧型車両の国鉄塗装再現、イベント実施、駅ネコのマスコットなど、さまざな施策によって、少しずつ認知度も高まっているのは頼もしい。私も、2011年7月23日、最終区間(平磯~阿字ヶ浦)の復旧当日に現地を訪ねて、全線フリー切符を購入。昔を懐かしみつつ乗車してきた。
 今後も、ぜひ応援していきたいものである。

-関連サイト-
ひたちなか海浜鉄道株式会社

-参考図書-
『レイル No.19 私鉄紀行 からっ風にタイホーンが聴える』(湯口 徹 著/プレスアイゼンバーン)

2011年7月作成



 


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