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私鉄ローカル線
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タイトル

那珂湊駅に到着するキハ2004
那珂湊に到着する元・留萌鉄道のキハ2004。
駅長はタブレットを受け取るために手を出している。
 1977.8


---- 海水浴場に向かう茨城の私鉄 ----

 茨城交通は、戦時中の統制令に基づいて、茨城県内の鉄軌道・バス会社が合併して誕生した企業である。そのうち、現在も鉄軌道の路線として残っているのが、常磐線の勝田から那珂湊を経由して海水浴場の阿字ヶ浦に向かう湊線だ。

 この路線は湊鉄道として、1913年に運行を開始。全線開通は1928年という歴史ある鉄道だ。しかし、近年になって旅客が減少したために、廃止も検討されていた。
 最終的にひたちなか市と茨城交通が出資する第三セクターとして再出発。現在は、ひたちなか海浜鉄道湊線として、集客に励んでいる。

茨城交通路線図

 私がここを中高時代の友人たちと訪ねたのは、浪人を経て大学に入って2年目のこと。日立電鉄と合わせて訪問した。当時の湊線は、廃止になった北海道の私鉄(羽幌炭礦鉄道、留萌鉄道)から高性能の車両を購入して、以前とは大きく姿を変えていた。茨城交通にあった車両で、のちのちまで残ったのは、ステンレス製のケハ601のみ。
 しかも、車体色まで、羽幌炭礦鉄道に合わせるという徹底ぶり。それ以前に訪問したことのある人は、その変化に驚いたことだろう。

訪問:1977年8月


中根駅付近

中根駅の金上寄りに広がる、のどかな田んぼ。このあたりは、2011年の今でも同じような風景を見ることができる。

1977.8


中根駅を勝田方面に向けて発車する元・留萌鉄道のキハ1103。正面2枚窓のいわゆる湘南型である。

1977.8

中根駅のキハ1003

中根駅のキハ1003

中根駅は、のどかな田園地帯にある駅。昔も今も、乗降客は少ない。この車両は、同じく留萌鉄道からやってきたキハ1101、1102と違って、正面中央のヘッドライトがなかった。

1977.8


那珂湊駅を発車して、阿字ヶ浦に向かう元・留萌鉄道のキハ1000形(キハ1001か1002)をはじめとする3両編成。前面中央の通称オヘソライトは、吹雪で視界が悪くなる北海道時代には威力を発揮したそうだ。

1977.8

那珂湊を発車するキハ1000形

▼勝田駅で発車を待つキハ2004。以前は、常磐線経由で水戸まで走る直通列車もあった。
 1977.8


勝田駅
中根駅

▲中根駅に到着する勝田行き列車。先頭は元・羽幌炭礦鉄道のキハ22形。同形3両が湊線にやってきた。運転席の旋回窓が特徴。これも、雪が窓に積もらないための設備だった。
 1977.8

阿字ヶ浦駅の構内は意外なほど広かった。左にホームがちらりと見える。駅を出て海水浴場に向かう松林の道。

1977.8

阿字ヶ浦駅


 



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