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筑豊本線 (1973年7月) |
高校2年生の夏休みに入ってすぐ、同級の友人たちと総勢5人で九州の撮影旅行に向かった。均一周遊券(のちのワイド周遊券)利用だから、もちろん九州まで急行「桜島・高千穂」で行く。 |
関門トンネルを通過して、夜明け前の4時10分に門司駅に到着。やっと、暑苦しい客車から降りることができた。ここからは交流区間になるので、急行「桜島・高千穂」の牽引機はED76(28号機)に。ホームでは郵便車に郵便物を積み込む作業が行われていた。 |
門司駅からは普通電車で戸畑まで移動。徒歩で若戸大橋のほとりにある戸畑港に行き、そこから若戸渡船に乗って若松に向かった。若松駅から筑豊本線の始発列車に乗車。現在は、折尾で分断されている筑豊本線だが、当時は直方方面に直通していた。しかも、これだけの長編成の客車で原田まで直通するのである。 |
若松駅ではほかに客もなく、機関士も駅員ものんびりした風情だった。今だったら、ホームのベンチでたばこを吸っている機関士と、帽子をあみだにかぶってくつろいでいる駅員がいたら、苦情がどれだけ寄せられるだろうか。のんびりした時代だった。牽引機はD51 542。 |
若松を6時7分に発車して、中間(なかま)駅で下車。左が、乗ってきた列車である。やがて、隣のホームには8620(68660号機)が牽引する通勤客車が到着した。側面に朝の光をぎらりと浴びた姿が美しい。 |
その後は、中間駅とその南にある筑前垣生(ちくぜんはぶ)駅との間で撮影。この区間が、蒸気機関車の往来が多かったからである。 |
筑豊本線の撮影名所というと冷水峠が有名だが、そちらは不便な上に列車の本数も少なかったので、結局行かずに終わってしまった。 |
2017年11月作成 |
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