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蔵出し鉄道写真館
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只見線 (1971年2月)


小出駅のラッセル車 小出駅の入れ換え風景
 

只見線というと、今では会津若松から上越線の小出に至る長大な路線のことである。だが、1971年8月に全通するまでは、小出から大白川まで、26kmの盲腸線だった。
そして、1日4往復だったかの旅客列車は、すべてC11が牽引する客車列車だったのである。

2月11日の祝日、まだ中学生だった私は、友人と二人で夜行日帰りの撮影旅行に出かけたのであった。
沿線は日本有数の豪雪地帯ということも知っていたので、どれほどの雪なのかということも、自分の目で見たかった。
左の写真は、小出駅に停車していたラッセル車キ100形、右は構内で行われていた只見線用の客車の入れ換え風景である。


小出駅の入れ換え風景 小出駅のC11 19
 

入れ換えをしていた機関車はC11の19号機。ごらんのように大型のヘッドライトがいい味を出している。前面にある黄色の手すりは、左の写真のように人が添乗するときに支えとするものなのだろう。

ところで、当時の只見線は大白川止まりだったのだが、すでに福島県側は会津若松から只見までが開通していた。しかし、そちらの路線は会津線と称していた。ちなみに、西若松から分岐して会津滝ノ原(現・会津高原)に向かう路線もまた会津線と呼ばれていたのである。

さて、いよいよ大白川行き下り列車の発車である。だが、機関車を見てビックリ、そしてガックリ。なんと牽引機は、さきほどの19号機ではなくて、トラ縞模様の63号機だったのだ。
もちろん、トラ縞の警戒色は事故防止を目的としていて、白一色に染まる冬場には必要だったのかもしれない。でもねえ。ちょっと味わいがない。


小出駅で発車を待つC11 63 柿の木駅付近を通過する除雪車
 

何はともあれ、この列車に乗って向かったのは、確か柿の木駅(当時は仮乗降場)だった。どんな駅かなんて、覚えていない。なにしろ、雪が3m以上は積もっていたので、周囲は真っ白。ホームを降りると雪の階段を降りて、また登って外の道路に出た記憶がある。

ここから、入広瀬に歩きながら、戻ってくる上り列車を沿線で撮ろうという予定だった。線路に並行して道路があることは、地図でわかっていたからだ。
ところが、線路と除雪されている道路との間には、3mはある雪の壁があった。
しかも新雪同然である。
固そうなところを狙って登ろうと必死に頑張ったが、その甲斐なく、雪の壁の向こう側を通過していく蒸気機関車のドラフト音を聞くしかなかった。


柿の木駅付近を通過する列車 柿の木駅付近を通過する列車
 

となると、撮影できるのは3時間ほどあとにやってくる下り列車だけである。その列車が大白川で折り返したやつに乗らないと、東京に戻れない。
というわけで、必死になってなんとか線路の見えるところまでたどり着いた。
一段上の右の写真は、通過していった除雪車。ラッセルヘッド付きのDD15だったかと思う。

そして、いよいよやってきた下り列車。積雪が音を吸ってしまうためか、シュルシュルというような音をたてて、すべるように通過していったような記憶がある。


入広瀬駅(?)に到着する上り列車 越後川口のC56
 

左の写真は、入広瀬だったと思う。この上り列車に乗って小出までもどった。

右の写真はおまけ。帰りの上越線で越後川口で途中下車。飯山線の貨物列車を牽引するC56が駅に停車していた。
これは、カメラの調子が悪くて上の部分が切れてしまった。だから、ちょっと寸詰まりな感じなのはご容赦を。

もちろん、上越新幹線の開通以前の話である。

2011年6月作成



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