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蔵出し鉄道写真館
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高崎第一機関区 (1969年8月)


高崎第一機関区のC12 7号機 高崎第一機関区のC12 7号機
 

中学校に入ってみると、生徒はみなクラブ活動をせよという。そんなクラブの一つに鉄道研究会という奇妙な団体があるではないか。さっそく会員となり、卒業まで3年間在籍していた。だが、自慢ではないが「研究」した覚えは一度もない。
もっとも、その点はほかのクラブ活動だって似たようなものなので、それほど卑屈になることはないかもしれない。

顧問は中川浩一という地理の先生であった。のちに茨城大学の教授になるのだが、この人が鉄道趣味界でとんでもない業績を残した研究者であることを知るまでには、もう少し時間が必要であった。


高崎第一機関区のC58 202号機 高崎第一機関区の扇形庫
 

上級生はみな優しく、和気あいあいというか、実に牧歌的なクラブであった。そして、その鉄道研究会の初めての校外活動が、高崎第一機関区の見学だったのである。
当時の高崎には機関区が2つあって、1つは蒸気機関車か集まっている高崎第一機関区、もう1つは電気機関車が主体の高崎第二機関区だった。

ところで、校外活動といっても先生が同伴したわけではない。夏休みになって、希望者を上級生が連れていってくれただけのことである。
だから、活動というよりも、単なる遠出である。

高崎第一機関区 高崎第一機関区
 

今思えば、そんな中学生数人の団体を、機関区の人はよく受け入れてくれたものだ。上級生(といっても14歳のガキである)が慣れた様子で機関区の事務室に入り、はきはきと見学をしたい旨を伝える。
そして、 ノートに名前と住所を書くと、「じゃあ、気をつけるように」と言われておしまい。まだまだ、おっとりしていた時代であった。

私はといえば、こんなたくさんの蒸気機関車を一度に見るのは初めてである。「へえー、こんなおもしろいところがあるのか」と遊園地に来た気分で、ひたすら感心していた。
このときのカメラは、まだハーフサイズのキャノンデミである。

9600形 69680号機 暖房車
 

上の4枚の写真は機関区のなかで撮影したもの。
すぐ上左の写真は、高崎線の車内から撮った9600型機関車69680号機。
右の写真は、やはり車内から撮った暖房車である。

暖房車とは、暖房装置を備えていない電気機関車が客車列車をひくときに、機関車の後ろに連結されていた車両だ。石炭をたいて客車にスチームを供給していたのである。
都内では、中央線の長距離客車列車でよく見かけたものだった。

高崎駅のクハニ67 907 両毛線のクモハ77 004
 

そして最後の写真は高崎駅。
左の写真は信越本線の高崎~横川を走るローカル電車である。もちろん、当時は新幹線など影も形もなかったから、横川の先まで信越本線が通じていた。
車両は、先頭に荷物室のついたクハニ67 902。
右の写真は、両毛線用にグリーン車の中間車から普通車先頭車に改造された珍車クハ77である。


2010年6月作成



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