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私鉄ローカル線
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タイトル


佐貫駅のキハ531
佐貫駅で発車を待つキハ531(編成の竜ヶ崎側)。江若鉄道からやってきた車両だ。
2つのヘッドライトの位置と、貫通扉のガラスの大きさがアンバランスでユニークだった。その後、ほかの車両と似たような形に改造された。

1975.11


これは、上の編成の反対側(佐貫側)。やはり江若鉄道からやってきたキハ522だが、すでに改造済。
常磐線のホームはこの右側に位置しており、通路の屋根が写真右に見える。

1975.11

佐貫駅のキハ522


佐貫駅東口付近
佐貫駅東口付近。キハ531がホームに停車しているのが見える。
いまの佐貫駅を知っている人は驚くだろうなあ。1969年に行ったときには、東口側には人家がまばらだったが、このころになると少しずつ建ちはじめていた。

1975.11

時代はぐぐっと下って1990年。ようやく走行写真を撮ろうという気になった。この日の日中はキハ532が往復していた。中間駅である入地付近にて。

1990.3
入地付近を走るキハ532


入地駅 入地は無人駅。蒸気機関車が走っていたころには、駅員がいたという。

1990.3


入地から竜ヶ崎まで、線路沿いをぶらぶら歩いた。線路と道路との間に柵がなくて、どことなくのんびりした感じ。

1990.3
入地~竜ヶ崎

竜ヶ崎駅構内 そして、竜ヶ崎構内。かなり家が立て込んできた。前ページの写真と比較してほしい。駅舎、ホーム(写真左端)も新しくなっている。
このあと、私は竜ヶ崎の古い町並みをとるべく、町をぶらついたのであった。
1990.3




 1969年当時、今よりはるかに細かい性格だった中学生の私は、あらかじめ関東鉄道常総線と竜ヶ崎線訪問の計画を立てようと、日本交通公社の大型時刻表のページを繰った。
 ところが、常総線は全列車の時刻が出ているものの、竜ヶ崎線は始発と終電近くの2、3本が書いてあるほかは、「日中は20~90分間隔」とあるだけ。
 あまりの大雑把な扱いに茫然となった記憶がある。

1969年の小児乗車券  さて、佐貫駅で待っていたのは、1ページ目で紹介したキハ41301。国鉄からやってきた古典的なディーゼルカーである。
 当時でさえ、まだこんな車両が走っていたのかと感激したものである。
 なかでも、都会育ちの私が驚いたのは、ドアが完全な手動式であったこと。半自動ドアなら知っていたが、手動式のドアは国鉄の旧型客車くらいしか見たことがなかった。
「これじゃ、走っているときにいつでも開けられるじゃないか」
 ほぼ満員の車内で、ドアのそばに立っていた私は、竜ヶ崎までの10分近くの間、ドアを開けたくなる衝動を必死に抑えたのであった。
 もう一つ驚いたのは、ガタンゴトンという線路のリズム。ふだん乗っている線路の継ぎ目のリズムとは、明らかに違っていた。通常の25メートルレールではなく、おそらく10メートルの短尺レールが使われていたのだろう。

 それにしても、いまから思えば、もっとじっくり腰を据えて、たくさん写真を撮っておけばよかった。だが、なにしろフィルムを買うお金も乏しく、しかもその辺に遊びに行くという調子で家を出てきた手前、あまり帰宅が遅くなってもマズい。どうにも落ち着かない気分であったのだ。

 いまでも、常磐線に乗って佐貫を通過するときは、窓に顔を押しつけて竜ヶ崎線のほうを見ながら、そんな昔の冒険旅行を思い出すのである。
 だが、いまでは佐貫駅付近には驚くほど家が立て込み、駅も立派になった。いつしか、常磐線の車窓から竜ヶ崎線の列車が見えなくなってしまった。
 それでも、佐貫駅を通過するたびに見えるような気がするのだ。ハーフサイズのカメラを持って、竜ヶ崎線のホームをうろちょろしている生意気な中学生の姿が。

2006年7月作成


-参考図書-
『私鉄紀行 からっ風にタイホーンが聴える(上)』(湯口徹/プレスアイゼンバーン)


 


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